雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

「まじめ」ということについて思ったこと

 「真面目」について通常思われているイメージは、肯定的には真剣さや誠実さであり、否定的には頑固さやつまらなさといったものだと思う。今日、ふと思ったのは、「真面目」には「保身」や「臆病」という側面があるのではないか、いや、側面ではなく、根底にあるのではないか、ということ。自身を守ろうとする防御的な意識、あるいは何かを恐れる不安な気持ち、そういったものがあるからこそ変化を避けて頑固になるとは言えないだろうか。
 もし上記の考えが妥当であるならば、「真面目」さの持つ肯定的な側面である真剣さについても疑わしくなってくる。この真面目さが、保身のため、あるいは不安からの逃避のために生まれてきたものであるとすれば、我々は真面目さを欲するだろうか。真面目な性格にもかかわらず、あまり人に好かれないという事態はよく見かける気がするのだが、その背景には、その人から感じられる負のイメージが原因となっているのかもしれない。
 もちろん、誠実さという意味での人物評ならば、真面目な人が嫌われることもないだろうけれど。


 「真面目(=真剣)」と似ているようで異なるのが「夢中」や「熱中」だろう。真面目さから、恐れ、不安、重苦しさを取り除いて、自分の気持ちの根っこのところを大事にして、かつ「遊び」の気持ちを忘れなければ、「夢中」な状態になるのかな、というイメージを持っている。保身や不安は生物の前提だから、人にそうした真面目さがあっても別に何も問題は無いのだが、それは他人が誉めそやすものでもあるまい。