雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

ローマの哲人 セネカの言葉

 

 

中野孝次著。「すらすら読める徒然草」の中で、著者が兼好と並んでセネカを愛読していると知り、本書を手に取ってみた。印象に残った言葉を抜粋してメモしておく。

 

自分の権能外のものは、全て借り物であり、自分の所有物だと執着してはいけない。我々のまわりに外面だけ輝いているものはすべて、子供でも、官職でも、富でも、すべてよそからの借り物なのです。外からやってきた喜びは、来た時と同じくすぐに去ってしまう。自分の権能外のものは手放し、むしろ自身の内なる善を見つけ、それを喜ぶのです。

 

貪欲は、心の病。所有の少ない人ではなく、渇望の多い人が、貧しいのです。足るを知る者には、少なすぎるということはない。足るを知らない者にとってだけ、いくらあっても十分ではない。

 

多忙を離れ、閑暇に進むべきだ。自分の時間を、他者に奪われてはならない。今日を、人生最後の日であるかのように生きよ。今、ここで生きること。未来に依存する者には、現在は無意味になってしまう。

 

人は生きている限り、いかに生きるべきかを学び続けなければならない。良く死ぬことを学べ。良く死ぬとは、平然と死ぬことだ。死は、善でも悪でもない。ただ、われわれが生まれてくる以前にそこへ在った安らぎの地へ、われわれを連れ戻すもの。

 

こうやって「つまみぐい」していると、一度は原本にあたる必要があると思われてくる。ということで、次は「人生の短さについて」を読んでみたい。

 

水やり後の豪雨

早くも梅雨明け。夏のような暑さ(というか、夏なのか)。遅ればせながら種をまいてみたが、今年の向日葵は無事に咲いてくれるだろうか。

 

あまりに雨が降らず、庭の花木も枯れそうなので仕方なく水やりをしたところ、その日の深夜に豪雨。雨音の激しさに目が覚めるほどだった。今日の水やりは無意味だった・・・。

 

 

筆算の線は定規で引かないといけないらしい。

長男の算数の宿題を見ていたところ、筆算をするときに毎回定規を使って線を引いていたので、何故そのようなことをするのかと理由を尋ねてみたところ、「定規を使わないとやり直しさせられる」とのこと。意味が分からなかったのでネットで検索してみたら、どうやら「計算間違いを防止するため」および「定規の使い方習熟のため」だそうだ。

 

・・・マジか。いずれもその狙いどおりの効果があるのかすら疑わしいが、百歩譲ってその方法が有効だとしても、やり直しさせるとか、バツにするとか、意味が分からない。目的と手段が逆になっているのでは?先生の教えたとおりにするのがマル、という教育は良くないと思うけどな。算数嫌いを増やすような教え方は止めて、そもそも算数(数学)ってのは面白いものなのだ、ということを授業で教えてほしいところ。

塞王の楯

 

 

今村 翔吾著。前作「じんかん」と比べて、全てを描き切った傑作だと思う。同年に直木賞を取った米澤穂信氏の「黒牢城」よりも私はこちらの作品の方が好み。

 

石垣を用いて最強の楯を作る穴太衆と、鉄砲を用いて最強の矛とする国友衆の戦いを描く。そこに甲賀衆、戦国大名が絡み、死力を尽くした城攻め戦が展開される。映画化も予想される(仲間が船で戻ってくるシーンは特に印象的)。

 

夏のような暑さ

暑い。うだるような暑さだ。早くも梅雨明けなのだろうか?エアコンを入れ、布団のシーツ類を夏物に変え、素麺を食べる。我が家の紫陽花も元気がない。洗濯物は良く乾く。

 

土曜日にワクチン(3回目)を接種したせいか、微熱と軽い頭痛がする。遠出する気も起きず、スーパーで買い物をして、図書館へ行って、夜は串カツのテイクアウト。夜は久しぶりにカルカソンヌをした。

 

長男はゲームとyoutubeと野球にしか興味がないようにも見えるが、図書館で本を借りてくると自分で興味のある本を取り出して読んでいる。面白くないものを無理強いしても続かないが、周囲に面白そうな本がある環境さえ作っておけば自分で読みだす。親の役割はそこにあるのだろう。

タクシー運転手 約束は海を越えて

 

 

チャン・フン監督、ソン・ガンホ主演。実話を舞台にした映画らしく、私はこの作品で「光州事件」を知った。

 

久々に映画を観たところ、良い作品と出会えた。コメディ風の作品から、次第にシリアスな展開となり、最後はしみじみとした友情で締める。なんといっても主演のソン・ガンホの演技が素晴らしい。芝居に幅があるというか、奥行きがあるというか、物語の展開を主役がしっかり演技で説明してくれており、安心して観ていられた。

背中が痛い

仕事が忙しい。同時に地域のPTAの役割もあたっていて、時間がない。家族もそれぞれ色々とあるようで、あれやこれやと忙しない。そんな中、背中が猛烈に痛くなり整形外科に行ったが、レントゲンを見ても原因は分からず医師は様子見と言う。その後整体でマッサージをしてもらって多少は和らいだが、その際も術師から筋肉がすごく固いと言われる。さて疲れと見るかストレスのせいと考えるべきか。いや、結局はどちらでも一緒のことなのかもしれない。身体が悲鳴を上げている、ということだけが事実なのだ。

 

さて一体どうしてこんな思いをして毎日を送らないといけないのか、と考えても、結局は自分でそういう判断をしたからとしか言えないのであって、当然誰のせいでもなく、逆に考えれば全てを投げ捨ててしまうという選択肢も自分には残っていることに気づく。他者からどう思われようが、どのように言われようが、結局は自分の人生は自分で決めて責任を負わなければならない。背負うのも自由だし、荷を降ろすのも自分の判断だ。