WEB上に自らが記した事項においては、他者の視線を排除できない。
他者は自分と異なるものであり、そして異質なものは自分にとって
脅威であり、不安であり、興奮であり、喜びであり、成長の糧であり、
実は私自身の枠を作るものでもある。
私以外の人間はこの世から消え去ってほしい、と思ったことは何度もあるが、
それが実現された世界できっと私の自我は崩壊するだろう。
他者のことは、私にはわからない。
だからといって、排除しようとはしない(距離をとろうとはするけれど)。
私には想像のつかない人間がこの世にいる、これが現実だ。
正確に言うと、私が理解できていない人間は、私以外の全てのヒトだ。
だから、他者にはなるべく寛容な態度で接しよう。
なぜなら、私も彼または彼女にとっては他者なのだから。
他者に関する基本的な思考もせぬままに、「他者は不気味」という幼稚な視点を
正面に据えて恥じぬ者への不愉快さは、何と表現するべきだろうか。
そしてこのWEB上で、私はかつて他者に対して行ってきた
愚かしい排除的態度を認め、恥をかこう。
同時に、今もまだ、そうした態度を取る自分がいることを懺悔しよう。
更に、きっと私は今後も、こうした愚行を繰り返してしまうであろうことを
告白して、・・・またも私は行き詰まってしまうのだ。
・・・が、行き詰まってばかりもいられまい。
言いたいことは今日の主題に書いてある。
「あの人の気が知れない」
「世の中、変な人ばっかりね」
「あんな人がいるなんて信じられない」
馬鹿野郎。
お前こそ得体の知れない気狂いじゃ。
世界は、知れば知るほど知らないことが増えるものだ。
異質な隣人と暮らし、永遠に不可思議な世界で生きることは我々の宿命なのだ。