- 作者: エーリッヒ・フロム,Erich Fromm,鈴木晶
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1991/03/25
- メディア: 単行本
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- 作者: M.スコット・ペック,氏原寛,矢野隆子
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 1987/05
- メディア: 単行本
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「愛」をテーマにして書かれたこの2冊。Fは1956年の、Pは1978年の著作であり、22年という時代の差はあるが、いずれも現代に通じる内容だと思う。共通するのは、いずれも愛を分析および記述可能なものであると考えていること、(愛は一時的な感情や受動的な「贈り物」ではなく)能動的な行為として捉えていること、愛を自らの生き方の軸(基盤というべきか?)にしていること、そしてフロイトが提唱した理念を踏まえつつそこから脱却しようとしていること。
相違点は、主張の最終到達地をどこにしているかということと、その到達地へ読者を案内する方法の違い。Fは最終的に社会問題に繋げようとして書いているが、Pはあくまで個人がどう生きるのかという観点に絞っている。また、Fは抽象的かつ演繹的にアプローチしているが、Pは精神科医としての様々な経験から具体的に論を起こして帰納的にまとめようとしている。
2冊が同じようなことを語りつつ、微妙に、いや時には全然違う主張を展開したりするから、私は少し混乱してしまい、まずは上記のようにまとめてみた。ということで、以下は簡単に各論。
まずFから。愛はまず幼児期に母親から受け取り、次に思春期に父親から獲得すべく行動し、青年期に神への愛を自らの価値観として育み、以降は兄弟愛(≒人類愛)と異性への愛を与える存在となり、そうしてようやく孤独を乗り越えることができる、とのこと。この「技術」とは、いずれもその相手に対して配慮すること、責任を引き受けること、尊敬すること、知ろうとすることである*1。愛を与える人間になるためには、「技術」を習得することが必要であるが、それは勿論各自が練習して身に付けていくべきものである(聞いたり読んだりして学ぶ類ではない、ということ)。そして、「技術」の習得の際には次のような基本的姿勢が求められる。それは、「規律正しく努める」、「集中する」、「忍耐をもつ」、そして「そのことの必要性を認識する」という姿勢である。他者を愛そうとするものは自己を愛せなければならず、かつナルシシズムは克服していなければならない。
と、やや強引にまとめてみたが。著者の基本的な姿勢は、自らにとって必要な者を愛するという考えは偽りであり、我々は(自己を含む)人類全てに対して愛を与えるべきだ、というもの。著者の分析や主張の大半は、なるほどと納得できるものなのだが、分かりにくいところも結構ある。私の理解不足のためという側面もあるかもしれないが。例えば、p85以降、異性愛について記述している部分はほとんど何を言っているのか分からなかった。
異性愛は、恋に落ちるという一時的な高揚感と性的欲望に基づく、肉体的な合一を目指す「幻想」とは全く性質を異にする。何故なら、そのような感情的で利己主義的な、そして一時的な幻想は近い将来に覚めることが明確な「錯覚」だからである。
・・・ここまでは一応理解できる。で、問題はここからである。まず、著者は異性愛がもつ排他的側面があるとしつつ、兄弟愛を排除することはないと書く。しかし、異性愛を通して人類全体を愛するということは、具体的にいかなる意味なのかについては何も記載されていない。異性愛はその定義上どうしても排他的に対象を限定しなくてはならないものであるならば、単に兄弟愛とは異なるものだという扱いにすれば良いと思うのだが、どうも著者は兄弟愛(差別なく人類全体を普遍的に愛すること)を上位概念に置きたいのか、無理に異性愛と関係付けようとするから矛盾した記述になるのだと思う。以降でも、異性愛の対象は(人類は本質的に同一であるから)誰でも同じように愛せるという展開をした直後に、(私達はひとりひとり異なる存在だから)異性愛は特殊な、個人的要素が必要なものであるなどと展開してしまう。で、結局は「人間の本性も異性愛もパラドックスにみちている」という強引なまとめ方をしてしまうのだが、・・・そりゃあんまりじゃないかと思うわけで。ま、フロムにとっては、社会問題として愛を語ることが重要なので、こうした問題はあまり重要視していないということなのかもしれない。
続いてPについて。まず、原題は"THE ROAD LESS TRAVELED"であり、「行く人の少ない路」とそのまま訳したら良かったのにな、と思った。著者の基本的な主張は、「人生で大切なことは精神的な向上である」という非常にシンプルなものである。そのためには、「現実と向き合うこと」、「内省し、自分もしくは他者から植え付けられてきたものを見つめなおす勇気を持つこと」、「自分の選択に責任を取ること」、そして「バランスを取ること(何かを諦めること)」が必要である。そして、この著作の中で最も素晴らしい記述は、次に引用する愛についての定義である。
愛とは、自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、自己を拡げようとする意志である。
この定義が、本書の大半を一文で要約したものとなっている。
著者は精神科医であり、様々な事例を紹介しながら論を展開していくが、特に印象に残ったのは次のようなことだ。
- 自分と相手の境界を崩壊させても(=恋に落ちるということ)、それは一時的な現象に過ぎず、それだけでは精神的な成長につながらない。時を経て、互いの境界が修復されたときに初めて人間同士の関係づくりが始められる。
- 依存症は、相手が人か薬かペットか、それとも趣味かに関わらず、相手の精神的成長が伴わない以上、人間同士の愛とは異なる何物かである。
- 他者と真剣に関わろうとすることは、非常な注意力を必要とし、かつ難しい判断に迫られる厄介なことである。にも関わらず、相手が自分とは異なる他者である以上、同一化したいという欲求は叶えることは不可能である。
- 自身の価値観(≒世界観、哲学、宗教)を更新することの素晴らしさとそれに伴う困難さについて。
*1:実はこの要約はかなり強引かも。フロムは結局のところ、何が愛の技術なのかについて明確には語っていないように思われる。