雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

世界で活躍する人々を見て劣等感を抱き、
夢を叶えていく友人を見てねたむ。


今の自分と比較して、どうしようもない不安に襲われてしまうのだ。
――私はこのままでいいのだろうか、他に何か道があるのではないか、と。
しかし、対案の無い現状否定は、きっと何も生み出さない。
混沌とした暗闇の中から光を見つけることなど、私に出来るとは思えない。
だから、どうしていいかわからず、ただ焦り、苛立ち、他者を妬む。
嗚呼。


でも、そんな気持ちは、実は簡単に解決できるんだ。
そう、今日だって自転車に乗って、不安と苛立ちを抱えたままに
全速力で30分も走ったら、過ぎ行く景色と心地よい疲れで癒され、
何だかすっきりしてしまったじゃないか。
――ああ、気持ちいいなあ。あれ?さっきは何であんなに悩んでたんだっけ?
なんてさ。阿呆ですわ。


結局、妬みなんて、その程度の重みしかないものなのだろう。
他者へ向かう妬みではなく、自己へ向かう克己心でなければならない。
隣の芝生はいつでも青く見える。




しかし、克己心や、夢や、目標なんて、いくら待っていても生まれてこない。
それは、自分が作るものだ。その根本は、対象への愛か、問題意識だろう。
何かが好きであること、何かを重要だと考えること、こだわりを持つこと。


ただ、考えてみると、私にはこういったものがあまりないのだ。
子供のころから夢なんて無かったし(卒業文集の「将来の夢」欄が苦手
だった)、こだわりも、美意識も特に無い。小さいころから継続してきたこと
もないし、特殊能力も資格も持っていない。


だから、私にとっては、
世界というものは下らないもので、
人生なんてものは無価値なもので、
生きることはしんどいことであり続けた。




そういう意味では、今の精神状況も悪くないのかもしれない。
自らの現状に対する焦りは、変革の第一歩になるかもしれないから。
このくだらない世界の中で、無価値な私がどう生きて、どう死んでいくのか。


「全てはどうでもいい」と突き放しておいて、今頃後悔している私よりは、
「どうしたいかは分からないがどうにかしたい」と無闇にあがく私を選びたい。


まずは、自己を見つめ、世界を知ること。
きっと、この能力が他の人より低いのだろう。
だからこの年になってもこんなことで悩んでいる。
今までの人生で何をしてきたんだろう、と焦る。
どうやら、世界を小馬鹿にしてきたしっぺ返しがきたようだ。


目的や夢が無い人間は駄目だ、という意見は嫌いなのだけれど。
目的や夢へ向けて努力する人の美しさを、否定できないことが悔しい。