雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

私は考えたり悩んだりすることが嫌いではない。頭の中の漠とした想いを言葉を用いて(場合によっては文字にして)整理することによって、段々と自分の思考が理解できるようになる。「嗚呼、自分はこんな風に思っていたのか」「いや、こう言いたいわけではなくて」「こんな視点から考えたらどうなのか」と自己との対話を繰り返しながら、ようやくあるひとつの形が出来上がる。こうしてひとつの考え方、主義が生まれると、それはすぐ他者の考え方と遭遇して、感動したり打ちのめされたりしてまたそのかたちを変えていく。この繰り返しは、孤独な脳内作業であり、自己満足に過ぎないのだけれど、「自分が何を考えているのか」が分かると、安心するものなのだ。


その対極にあるのが、夢だ。夢の中では、行きつ戻りつといった思考の制御が利かず、欲望や過去、つまりはおそらく無意識がただ暴走する世界の中で、私は踊ることしかできない。夢の中で立ち止まることは許されていないのだ(夢の中で、自分を客観視することなど可能だろうか?)。


最近、悪夢をよく見る。ここ1ヶ月は週に2、3回くらい悪夢を見る。大学に入って数年間、センター試験の頃になると決まって受験に落ちた夢をみていたが、それと同じような感じだろうか。夢から覚めると、気分は当然沈んでいて、思考がよくない方向に進みだしていることに気付く。


夢は、しばしば現実の思考を規定することがある。通常の思考ではどうしてもたどり着けない地点へ、夢がいきなり到達点を置いてしまい、自らの考え方や主義を全て投げ捨ててそこへ向かうことがある。脆弱な思考は、感情や気分によって180度変わるのだ。日常の淡々とした生活が、わずかな時間に経験した非日常によって方向付けられてしまうことは、夢だけの話ではあるまい。


強い意志を持ちたい。けれど、今の私は圧倒的な夢の力に屈服している。