雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

コロナウイルスと週末

木曜日、晴れ。職場では、換気を徹底するために窓を開けっぱなしにしており、とても寒い。春だというのに凍えながら仕事をしている。子どもが通う小学校では入学式と始業式が開催されたが、明日からは臨時休校となった。3月、4月と、これで2か月間授業がない。自主学習も、もう少しモチベーションをあげないと、そろそろ限界かと思う。当たり前の暮らし、日常生活というものが、いかに有難いものだったかを痛感する。

 

金曜日、晴れ。休校措置を受け、仕事を休み、子どもと過ごす。午前中は学校の時間割どおりに勉強してもらい、私は洗濯や掃除などをする。昼にラーメンを食べ、さあ自由時間だということでふたりでテレビゲームをする。先日、祖父母に買ってもらったスーパーマリオブラザーズUデラックス。まだ操作に慣れていない長男は、マリオがジャンプをするときに自分もコントローラーを持って身体ごと動かしているのが面白い(私もそうだった)。大人がやっても面白いのだが、一方で、ゲームの骨格がファミコン時代(特にスーパーマリオブラザーズ3)からほぼ変わっていないことに気づき、先人のすごさを思い知らされる。あとは公園で少し体を動かしているうちに、次第に近所の子が集まってきた。夕飯は、ごはん、豚汁(牛蒡がいい味を出していた)、大根と鶏肉の煮物(古い大根が固くて不評だった)。

 

土曜日、曇り。人間界はコロナ騒動に右往左往しているが、自然界はいつも通り新緑の季節を迎えている。ヒメシャラ、モミジ、ヤマボウシは今年も葉をつけ、バラはもうすぐ花が咲きそうだ。ソヨゴが枯れてから庭が少し寂しかったので、オオデマリを植える。根付いてくれるとよいのだが(移植後は、根腐れを起こさぬよう、あまり水をあげすぎないことが大切らしい)。ついでに家庭菜園にトマトも植える。今日の夕飯はタコ飯の素(以前、淡路のサービスエリアで購入した)を投入した炊き込みご飯。最高に旨かった。これはまた買わなくては。

 

日曜日、雨。エネルギーを持て余す子どもと、何度も何度も戦いごっこをさせられる。街中を走る車の数も少なく、飲食店も臨時休業のところが目に付くが、スーパーだけはやたらと人が多かった。マスクをしていない人の方が少数派のようで、なんだか肩身が狭い。いつまでこんな生活が続くのだろう(薬やワクチンが登場するまで?)。夕飯に鶏の唐揚げを大量に作る。我ながら上出来だった。ビールがうまい。
 

新型コロナウイルス、緊急事態宣言へ

新型コロナウイルスの猛威が止まらない。4月6日時点で、アメリカだけで患者数が16万を超え、世界全体における死者は7万人を超えたとのこと。欧米のニュースの悲惨さを聞いてなお、まだ実感がわかなかったが、日本でも患者数が増える一方で、明日には緊急事態宣言が出される見込みだ。どうせやるなら、私権を制限してでも期間限定で徹底的にすべきだと思うが、さて。

 

自分の見聞きする範囲では、まだ患者の発生はないようだが、今後どうなるか全く分からない。仕事には行かないといけないし、学校再開もしばらく延期だろうし、ウイルスは広まるばかりだし、景気も株価も落ち込む一方だ。桜を愛でることもできず、外出もままならない。春の陽気も台無しである。

 

間違いなく、今回のコロナ災害は歴史に残る事態だが、後世の人々が振り返ったときは患者や死者、株価や失業者などの数字が記録され、評価を受けるのだろう。しかし、数字には表れない絶望感や悲壮感、そして恐怖と、この暗い雰囲気はなかなか伝わらないだろう。現代社会にここまで大きな弱点があったとは、私はまったく認識していなかった。

 

自分にできることは何か、と考える。今こそ、「暗いと不平をいうよりも、すすんで灯りをつけましょう」を実践すべきときだ。仕事時間を短くして、朝や夕方に子どもとキャッチボールをして、家族で過ごす時間を増やし、家で本を読み、ストレッチをする。野菜や果物を多めに取り、睡眠時間を確保する。要するに、家族でゆったり楽しく過ごすことだ。

 

そうは言っても、私だっていつ感染して、いつ死ぬか分からない。分からないことは、恐ろしいことだけれども、できれば自分の本音に蓋をして、微笑を浮かべて過ごしていきたい。

ミッション:インポッシブル/フォールアウト

 

 

クリストファー・マッカリー監督、トム・クルーズ主演。トム演じる不死身のスパイ、イーサン・ハントは今回も走る、飛ぶ、そして落ちる。毎回、「トムは元気だなあ」と感心するばかり。毎回恒例のカーチェイスは、今回はパリが舞台。見せ方が非常にうまく、美しい構図が続く。ストーリーを厳密に分析する気もないので、純粋に娯楽映画として楽しむ。

訃報:志村けん

コメディアンの志村けんさん死去 新型コロナ感染で肺炎発症 | NHKニュース

 

志村けんが亡くなったニュースを聞き、昼からショックが収まらない。私が志村けんに出会ったのは、「8時だョ!全員集合」で、毎週の私のお楽しみだった(ひょうきん族は見ていなかった)。その後継番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」、「ドリフ大爆笑」、「志村けんのだいじょうぶだぁ」、「志村けんのバカ殿様」と、欠かさず見ていた。

 

私にとって、志村けんは、コメディアンであり、スターであり、アイドルだった。お笑いと言えば志村けんであり、テレビといえば志村けんであった。子どもにも、志村けんを見せたくて、Amazonプライムで「8時だョ!全員集合」を見せては一緒に笑っている。子どもならみんな笑える、世代を超えた普遍的な笑い。

 

大人になってから分かったのは、即興で人を笑わせる天性の才能は加藤茶にあったということ。しかし、コントやお笑い番組を作り続ける才能と意欲が、志村けんにはあった。

 

そんな、志村けんが亡くなった。どんなスターも、いつかは死ぬ。と、分かってはいるが、悲しい。悲しいが、志村けんはお笑いの人だ。テレビで放映すべき追悼番組は、抱腹絶倒のコントでなければならない。
 

 

ワイルド・スワン(上・中・下)

 

ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)

ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)

 

 

ユン・チアン著。著者と、両親と祖父母の三世代の人生を通して、20世紀中国を描いた壮大な自伝的物語。人生というものがいかに国や社会、文化や風習によって翻弄されるかを、嫌というほど思い知らされる。また、共産党が一党支配する中国の、海外からは見ることのできない姿、特に文化大革命のもたらした悲惨な影響がよく分かった。

 

とにかく壮大な物語で、最初は著者の祖母の纏足からはじまり、最後は著者が英国に留学するところで終わる。読み終わった際の感想は、感動というより、ただただ圧倒され、「これはすごい本を読んだ」と深く思った。

 

私が特に印象に残ったのは、著者の父親・張守愚の生き様である。幼少期に苦労をし、共産党に理想を抱いて人生をかけて革命を成し遂げ、その後も奢ることなく私腹を肥やすこともなく、党に忠誠を示す。しかし「皇帝」として君臨する毛沢東に裏切られ、家族と別れて牢獄暮らし(その後精神病棟と労働収容所)、拷問と強制労働と、苦闘の日々を強いられるも、あくまで自らの魂を守り抜き、光を見ることなく死んでいく。自らの思想への誠実さと、何物にも屈しない心の強さに、同じ人間として感動するとともに、特に失敗や不正をしたわけでもないのに不幸な坂道を転落するしか許されなかった不条理さ、国家や組織という枠組みを前にした一個人の弱さに愕然とする。

 

何が人間にとっての幸せなのか、という問いに対する答えは無数にあるだろう。富を蓄えることか、出世することか、信念に生きることか、家族と楽しく暮らすことか。どれも正解だと思うのだが、本書では、これら全てが一瞬にして奪われる様子が繰り返し描かれる。幸せは、とても儚い。平家物語でいうところの、ひとえに風の前の塵に同じ、だ。

新型コロナウイルス恐慌

アメリカ経済は絶好調、という祝詞を信じてこれまで投資額を増やしてきたが、年明けから警戒感と利益確定のため少しずつ手放すことに。コロナウイルスの感染が拡大する中、2月末には相当分を売り払ったが、世界中でここまでの記録的暴落が起きるとは予想しておらず、仕事の忙しさという言い訳も手伝って残りは処分することなく「なんとなく放置」していたら、大変な事態になってしまった・・・。

 

自分自身の教訓として振り返ったときに、記憶しておくべきこととしては、あまりの暴落時にはその衝撃から、「何も行動できなくなる自分」を発見したことである。今にして思えば、暴落時には後先考えずに投げ売ること、白旗を挙げてリスクオフの波に乗ることが正しい*1。あまりにも衝撃的な価格下落は投資家の恐怖を呼び、さらなる価格下落を招くのだから、底なんか分からないし、一旦逃避以外の選択肢はなく、ましてや「落ちてくるナイフを掴むべきではない」わけだ。にもかかわらず、私は衝撃の大きさに負けて、逃げることも立ち向かうこともせず、茫然として放置し、「いつか戻るだろうから塩漬けしよう」と判断を避けていた。

 

しかし私の予想(希望?)に反して株価は下落し続ける。しかも、感染規模は拡大する一方。毎日流されるニュースを見ては、下がる株価に落ち込み、収束の見えないコロナウイルスへの悲観的な見方が強まっていく。「長期的視点」に立ってこつこつ継続的に投資するのが個人素人投資家の利点だと分かっていはいるのだが、ついに心がくじけてしまい、残っていた所有額の大半を手放してしまう。すると翌日にはダウ史上最高額の反発という痛恨の一撃。今年一年はマイナス確定。「ふう、なんとか致命傷ですんだぜ」というネタ台詞を自分で吐くことになるとは・・・。

*1:何も気にせずに積み立てを継続し続ける、というスタンスも否定しないが、これは相当タフな精神を要する・・・。いやむしろ、だからこそ「原則方針」のみを信じて、「情勢」や「事件」を無視するべきなのか?