雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

入門山頭火

 

 

町田康著。山頭火の入門書のようなタイトルだが、山頭火の俳句自体はそれほど多く登場しない。むしろ、ひとつの俳句ができるまでにどれだけの過程があったのかを山頭火と共に旅をしながら読み解いていく。

 

しかし本書の著者は町田康。解説しているようで、いつの間にか文章の主語が町田康になっている。山頭火と一体化した町田康山頭火を語りながら自分を語る。それでいいし、そこにこそ本書を読む価値がある(本書をタイトルだけで手に取った人は読みながら疑問を感じるかもしれないが)。「どうしようもないわたしが歩いている」という歌を「へらへらぼっちゃん」を書いた町田康が語るのだ。

 

ダメな人間は、ダメな自分でありたいと願っているわけではない。ダメな自分を自覚して、どうにか脱しようともがいても、それでもダメな自分にしか還れない。自分を受け入れつつ、それでもなんとかしたいとあがく、時にはすべてを投げ出してみる。そういう人間がいることは、結局のところ、一言でいえば救いである(頭木弘樹氏の「絶望名言」を思い出しながら)。「私もこれで良いのだ」と安心するという意味ではなく、同志がいることに救いを感じるという意味で。自らを受容する道は、果てしなく険しい。

 

分け入っても分け入っても青い山

 

 

 

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未来の年表2

 

 

 

河合雅司「未来の年表」の続編。前作と基本的主張は変わらず、ただ前作の提言からの状況は改善しておらず、むしろ悪化している。少子化の進行によって、これから日本は具体的にどうなるか、ということは一定予測可能であり、本書がくりかえし語っているのは「現状は続かない」ということ。残念ながら明日は今日の延長、ではないのだ。「逃げ切り世代」なんて存在しない。ではどうするか・・・、その答は本書でも十分に示されていないと感じたが、そもそも答えなんて誰も持っていない。どれが正解かわからないけれど、仮説を立ててあがくしかない。

 

 

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9月末体調

歩数186,208(仕事が忙しく、運動時間もとれず、しかも暑かった・・・)、体重は少し落ちてきたが、座りっぱなしでは腰痛は改善せず。睡眠不足も解消せず。残暑というか、まだまだ夏だった。

夏祭り

今年は町内会の役員に当たっており、想像以上に時間を取られて大変だ。特に先日実施した夏祭りは、4カ月ほどかけて企画検討を進め、直前の1カ月間は準備に忙殺されていた。ほぼ同時期に仕事も山場を迎えてしまい、子どもも野球の大会で遠征がある等、諸事が重なってしまったのはつらかった(とはいえ人生とはそういうものであって、「あれが終わったらこれをしよう」とはならず、誰もが皆なんとかしてやりくりしているのだろう)。企画を考える、調べる、問題点をつぶす、準備作業をする、人に頼む、業者に発注する、自分でも動く、質問に答える、皆に連絡すると、あまりにもやることが多すぎて、途中からうんざりしてしまったこともあった。

 

実際に祭本番を迎えてみると、天気(雷雨)に翻弄されて思うようにいかなかったり、準備不足が響いたり、もっとこうしたらよかったのに、と後になっていろいろと反省点が出てくる。すぐに面倒がったり、綿密な準備をしないのは私の悪い癖で、もっと皆に協力してもらえるようにできればよかったな、とは思う。ただ、もっと全力で取り組めば・・・と考える一方で、「あれ以上にやれただろうか?」とも思う。「実際に起きた出来事が自分になしえたこと」なのだ。ありのままに受け入れるしかない。まあ、誰も怪我せず、クレームも今のところ出ておらず、皆楽しそうに嬉しそうに参加していたようなので、それなりに良かったと評価して良いのかもしれない。欠点のない完璧な状態を理想としたところで誰も幸せにならないので、反省点は次の人に生かしてもらおう。協力いただいた皆に感謝。今はただ、相当長い間続いたプレッシャーから解放されて、後片付けをしながら余韻にひたっている。つかれた~。

 

やってみなければ分からないことはあるし、どうせやるなら頑張った方が楽しめる。とはいえ、生きているとあれやこれやと忙しくて、時間は有限だ。人生、なかなか思うようにはいかない。

 

くもをさがす

 

 

西加奈子著。『夜が明ける』以来の二冊目。がんを患った著者の、自身の身体と心、自身と周囲の人たちの関係、そして日本とカナダの比較という視点でつづられたエッセイ。癌になったからこそ、見えてくる(見つめざるを得ない)自分と周囲の人々。著者の視点に色々考えさせられた。

 

自身のありのままを受け入れること(別の誰かから「こうなれ」と指示を受けないこと、「望ましい姿」を強いられないこと)、誰にどう思われるかという視点に立たないこと、自分と他者を対等に考えること(=他者にとっても自分が特別視されないと認識すること)、自分の意見を臆せず表明すること、人の助けを求め、有難く受け入れること。