公暁による実朝暗殺事件は歴史上大きな事件であり、本物語においても重要な転換点になると思われたが、その大きな事件を更に大きな物語の一部に組み込んでしまうことが三谷脚本のすごさ。
並の脚本家なら、事件そのものを中心に置いて話を進め、その事件に物語上の主人公がどう関わったか(どう感じたか)を無理やりにでも絡ませて話を「作る」が、「鎌倉殿の13人」では、事件そのものをちゃんと描いた上で、それを更にもっと大きな物語(つまりは義時を中心とした群像劇)の部品として扱う。実朝暗殺前後から、数々の伏線を配置し、実朝暗殺を契機として本物語がクライマックスに向かっていくことを鮮やかに示した。こんなに血生臭く、政治の闇を前面に出しているにも関わらず、毎週観るのが楽しみでならないのは不思議なくらいだ。
以前、同じNHKのスペシャルライブでサザンのライブを見たことがあり、それが大変良かったのを覚えているが、今回も見てよかった。バラードもロックもポップスも何でも桑田節として歌える(さすがに高音は出にくくなっている?)。歌の終わりの毎度の「ありがとな~」も彼らしい。
『Soulコブラツイスト~魂の悶絶』で、歌の中にアントニオ猪木に送るメッセージが入っていたが、これは桑田さんなりの追悼コメントなのかな。見ていて涙ぐんでしまった。
私の好きな桑田佳祐の曲ベスト10は次のとおり。
桑田佳祐のベストアルバムも、「TOP OF THE POPS」、「I LOVE YOU -now & forever-」に続いて三枚目だ。サザンとしてではなく、ソロとしてもこれだけの曲を作ってきたんだな、と。いつか桑田さんのカバー集も発売してくれたらな、と期待しているのだが。
自己中心的なこと、それ自体は善でも悪でもない。・・・そうは思いつつも、時折、いかに自分が自分のことにしか興味がないかということを自覚し、その情けなさや人としての至らなさを痛感するのだが、だからといってそれが事実である以上、そういう自分を生きるしかないわけで、せめて自覚しているだけましか、とつぶやいてみる。
自分が好きだ、という話とも少し違う。関心の持てる面積の狭さというか、人としてのスケールの小ささというか。基本的には、全てのことはどうでも良い、というスタンス。なんともつまらない人間だ。
荻野 弘之著。マルクス・アウレリウスを読み、セネカを読んだ後のエピクテトス。ストア派の本はしっくりくる。
世の中の物事を、私か、私ではないものかに分け、そして私ではないものに対する執着を捨てる。私に世界を変えることはできないが、世界を解釈するのは私である(どう感じるか、考えるかを決めるのは私自身である)。
自由に至る唯一の道は「我々次第ではないもの」を軽く見ることである
自分自身にそう思われるだけでよい。それで十分である