雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

新型コロナウイルスを振り返って(中間評価的個人メモ)

新型コロナウイルス感染症は、世界ではまだ爆発的に広がっている状況で*1、日本でも首都圏を中心に収まる気配が見られない状況ではあるが、自分の周囲だけを見ると一定の落ち着きが見られる状況なので(皆マスクこそしているものの、以前と同じように出歩き、働き、生活している。)、一度ここまでの過程を振り返って記録してみたい。

 

当初は中国の一部で騒ぎになっているな、くらいの認識だったが、春節で世界中に拡散されると報道に不安を感じ、クルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)の船内感染事件により身近な事件と認識を改め、日々国内で増え続ける患者、自分の暮らす地域での陽性患者発生、志村けんの死、日本全国を対象とした緊急事態宣言、世界レベルのパンデミックと、不安と恐怖が日に日に大きくなる状況だった。

 

いつか自分も、家族も感染するのではないか、そして感染した場合は最悪死ぬこともあるわけで、先の見通せない恐怖を抱いて送る日常は大変憂鬱なものだった。そんな中でも自分にできることは何だろう、と考え、せめて家族が少しでも楽しく暮らせるように、料理をしたり、ゲームをしたり、一緒に勉強したり、くだらないおしゃべりをしたり、在宅勤務をしたり、皿回しを練習してみたり、とにかく一生懸命に「時間を進めていた」。外出もままならないせいで、一日がやたらと長かった。魔の山だ。

 

次第に、何故か様々な状況が少しずつ改善していき、「誰も答を見つけられなかったのに問題そのものが消えてしまった」みたいな感じで、日常生活が元に戻りだした。半ば安心し、半ば不安を消し去れずに、私は毎日を過ごしている。ふと、あの辛い期間は一体何だったのだろうかと、その意味を探してしまう。国から10万円(とマスク)が支給されたが、これはあの苦しい日々を耐えたことへの対価なのだろうか、とゆがんだ解釈をしてしまう*2

 

新型コロナウイルスが特に猛威をふるった3月から5月の3か月間にかけて、いくつか気づいた点、思ったことなどをメモしておく。

 

1点目。人間も社会もそう簡単には変わらない、ということ。コロナで世界は崩壊する、コロナによって何もかもが変わる、コロナ後の社会は全く新しい次元で展開する、などという言説は正しくなかった。もちろん、コロナによって多くのことが変わっただだろう。しかし、変わったことよりも、変わらなかったことの方が多かった。大きな事件があると、その前後で世界が変わるような錯覚に陥るけれど、「何もかもが一度に変わる」ことなどありえない。最近の例で言うなら、リーマンショックで世界が変わらなかったように。日本だって、第二次世界大戦の敗戦という究極の転換点を経ても、全体主義同調圧力、また年功序列に男尊女卑に根性主義など、変わらなかったことは山ほどある。もっとも、各個人における「世界観」が大きく変わることは十分にあり得るだろうが。

 

また、苦しい状況に陥ると、破れかぶれになって、全てがどうでもよくなり、「世界が崩壊すればよいのに」などと考えることがある。自分の状況が改善する見込みはないので、どうせなら世界も道連れにして、何もかもが終わってしまえばよい、という発想は理解できる。私は「コロナ!!!まだ行かないでくれ!!!!(追記」を読んで、さほど違和感はもたなかった。ただ、残念ながらコロナで世界はさほど変わらない。むしろ、「CNN.co.jp : 米富裕層の資産、コロナ禍の3カ月で62兆円増える」にあるように、強者はさらに強くなる(弱者はさらに苦しい状況に追い込まれる)ようだ。

 

2点目。「絆」や「感謝」、「助け合い」といった美徳の素晴らしさが社会で強調された一方で、もっとどろどろとした、棘のある「人間らしい」本音を耳にする機会が多かった。家にこもって鬱憤が溜まっていたからなのか、それとも誰かを攻撃せずにはいられないのが人間の性ということなのか。コロナ陽性患者を個人特定して攻撃する人、店舗が営業しているとクレームをする人、子どもが公園で遊んでいる様子をみて苦情を言う人・・・、社会正義の名の下に他者を過剰に攻撃する「自粛警察」という言葉を報道でよく見かけたが、人間は中世の「魔女狩り」の時代からたいして変わっていないようだ。

弱い者たちが夕暮れ さらに弱いものを叩く

その音が響きわたれば ブルースは加速していく

THE BLUE HEARTS 「TRAIN-TRAIN」)

 

3点目。仕事に対するモチベーションがさらに低下した。「業務効率が落ちても良いからとにかく職場に来ないこと」を推進するためのテレワークを体験して、自分の仕事が果たしている役割の小ささが実感できた。メンバーシップ制をとる日本型雇用形態において、テレワークはその「洗脳」を解くまたとない機会だったのではなかろうか。テレワークが続くと、帰属意識がぐっと低減するので、「何故自分はこの会社で働くのだろう」と、つい考えてしまう。

 

また、仕事に対する熱意も冷めた(元々低かったが)。今は月曜から金曜まで出勤して仕事しているが、週休5日くらいにならないかな、と真顔で思ってしまう。月曜日の朝は、「あまり学校行きたくないなあ」と浮かぬ顔をしながらも頑張って登校する長男の背中を見てエネルギーをもらい、子どもが頑張っているからお父さんも頑張るか、としぶしぶ出勤している。子の背中を見て親が学ぶというのは、全く情けない状況で。まあ、生活のためには働かないとね。

 

サラリーマンである以上は皆そうなのだろうが、自分のしている仕事というのは、結局のところ組織の役割を果たしているだけであって、どうしても「自分の仕事」という感覚は持てない。「誰かの仕事」を、今は自分がそのポストで従事しているに過ぎない。まあ、そういう契約を会社と交わして社員になったのだから、当たり前の話ではある。しかし、コロナのために家に籠って長時間過ごしていると、疑似定年退職気分とでもいうものを体験することとなり、職場だけが自分の居場所ではないよな、ということに気づき、同時に仕事以外の居場所を他に作る必要性を痛感した。それは転職や副業という意味では必ずしもなく、むしろライフワークとでもいうべきものかもしれない。自分の居場所は自分で作る。

 

他にも、都市で暮らすということの意味や、子どもを育てるということなど、色々思うところはあるけれど、きりがないのでこの辺で。そもそも、まだ何も終わっていない状況下にあって、コロナの総括めいたことを書くのは気が早いかもしれないが・・・。最後に、印象に残った記事を2点。

dot.asahi.com

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*1:6月21日現在で約855万人が感染し、約46万人が亡くなっている。

*2:ちなみに、10万円は肉や果物や酒など地場産品の購入に充て、残りは給料減に備えて貯金し、アベノマスクは店に寄付してドリンクを無料にしてもらった。