雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

夢における自殺未遂

 死にそうになる夢を観たときの目覚めは、恐怖と安堵感で朝からヘトヘトだ。



 私は数日後に死ぬ*1ことを決意して、安楽死専門の業者に連絡をとり、日程確認を終えて自らの人生に幕引きをする準備を淡々としていた。それと告げることはなく、家族に会いに行き、申し訳ないという気持ちと感謝の気持ちを抱きつつ、「もし人生が二度あれば」なんて今から考えれば未練たらたらな話をしてみたりする。


 それでも専門業者との約束は絶対で、日程時間場所方法は全て確定しているので、未練などを感じているつもりは無かった。ただ、まるで事務処理のようにすべきことを黙々として、そのときを待つつもりだった。


 さて、その期日が来たときの朝に、どうしても会っておかなくてはならない人に別れを告げに行った。すでにその人には全てを伝えていたので、それほど気は重くなかった。その人に全てを打ち明けていた理由は簡単で、その人も同じ業者に連絡しており、同じ日に死ぬことになっていたからだ。だからこそ、最後の日に会いに行く必要があったのだ。これから死ぬのだから、他人のことなどどうでも良い気もするのだが、死ぬなんていうことはやはり心細いわけで、一緒に行く仲間がいるというのは嬉しいものなのだ。


 白を基調とした、明るいその部屋に入ると、その人はソファに腰掛けて読書していた。「何を読んでいるの」と声をかけるとこちらを見上げて、笑顔でその本の話を始めた。その、これから死に行く人に似つかわしくないほどの、あまりに屈託の無い笑顔に、私の中で何かが弾けた。正気に戻った、という方が良いのかもしれない。


 この人に生きていてほしい、と強く感じた。死ぬことを肯定しており、まさに今これから死のうとする自分がそのようなことを願うなど、本当に欺瞞なのだとは思うが、そう感じざるを得なかったのだ。そして、その人の生を願う気持ちは簡単に伝染し、あっけなく堰は崩れた。自分自身も死にたくない、生きていたいと思うようになってしまった。


 業者に連絡をとり、キャンセルを申し込むが相手は渋る。直前の欠員は事務に大きな支障が出るので、基本的には断っているようだ。「困るんですよ、そういうの。だからあれほど何度も、本気かどうか確認したじゃないですか」と延々と怒られるが、「本当に突然のことで、自分でも分からないんですが、当時は、今のような心境になるなんて全く想像も出来なかったんです。やっぱりあと少し生きていたいんです」と平謝りで二人分のキャンセルを行い、違約金を払ったところで目が覚めた。




 そんな夢をみて、つらつらと考えたこと。

  1. 孤独は、私の生命に力を貸してはくれない。自分以外の大切な何か(人でも、社会でも、モノでも)とのつながりこそが生きることの意味を与えてくれる。
  2. 人間は感情に左右される生き物。そして困ったことに感情は、あっけないくらい容易に変化してしまう。
  3. 自殺者が3万人を超す時代。そしてそれは、毎年3万もの無念があるということでもある。飛び込み自殺を行った人が、そのまさに途中で「やっぱり生きたい」と感じてしまったとしたら、その無念は如何ほどだろう。

生きてる以上… 生きたいという気持ちは完全には消せない…!
「3」くらいは混ざる 混ざらざるを得ない…!
(赤木しげる)

*1:原因は不治の病、という設定だったと思う。