大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史 (中公新書)
- 作者: 苅谷剛彦
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1995/06/24
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- 作者: 苅谷剛彦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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「知的複眼思考法」の著者、教育学者苅谷剛彦氏の著作を2点。「大衆教育社会のゆくえ」は、まるで推理小説を読んでいるかのような感じがした。名著。教育を切り口に、戦後日本社会を分かり易く描いている。公教育の建前的な平等性を追求するあまりに、現実にある不平等*1を見えにくくしているという指摘はもっともだと思ったし、これまでの日本教育界における学歴社会批判、反エリート主義教育、経済(資本主義?)に対する強烈な抵抗感等の問題点が浮き彫りにされている。
「教育改革の幻想」も続けて読んでみて、いかに日本の教育論がデータ軽視かつ雰囲気重視の、精神主義的な議論に終始していたのかが良く分かった。確かに私自身、教育について考えようとするとまず自分の過去を切り口に語ろうとするため、個人的な(偏った)話を、しかし一般的な議論であるかのように語る傾向がある。本来個別的な話を絶対的なものとして語り合えば、議論にならないことは当たり前のことなのに。現実を踏まえない「べき論」は、その(一定の)正しさゆえに誤った方向に議論を導く。
個人的に少し思ったこと。「教育改革の幻想」でも少し触れられているが、教育問題の解決に向けての国民的な議論の熱は低い、もしくは妙なところだけ熱い。一部の閉ざされた機関の中で全て重要なことが決定されており、その他の機関(学校や自治体)には重要な課題解決へ取り組む権限が与えられていないから、結果的に議論が細部の話に集中してしまい、無闇に炎上する。全国学力テストの市町村別結果の公開問題や、自治体間の学力順位の上下、または既に検定済みである教科書の中からどれを選ぶのか等が、現在の教育の重要課題であるかのように日々大きく報道されること自体に違和感を抱く。大切なのは、その問題が重要かどうかではなく、たくさんの重要な諸問題の中から優先順位をつけて考えることなのに。
*1:例えば、経済格差の再生産といったこと