- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2005/12/16
- メディア: DVD
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何度観ても見飽きない作品のひとつ。映像、光、そして音楽で「都会的なもの」の哀しさや寂しさを本当に美しく描いている。アイリス(ジョディ・フォスター)の可憐さと演技の完璧さや、スポーツ(ハーヴェイ・カイテル)のチープな悪さ加減なども良いのだが、やはりこの映画は、主役のトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)のためにある。
鬱屈とした、孤独な感情がやり場の無いままに煮詰まっていき、一気に爆発して(もしくは「ブチ切れる」と言うべきか)、カタルシスを迎える。蝋燭の炎の熱に耐えるために全身の力を込める様子といい、突然モヒカンで現われて笑顔で拍手する姿といい、その狂いっぷりが最高なのだ。
映画の最後、トラヴィスがどういう心境にあるのか、これはなかなか難しい。客観的な状況はほとんど何も変化していないのだが、トラヴィス本人は現実と上手に付き合えるようになったようだ。憧れだったはずのベッツィと笑顔でさらりと別れる彼の、晴れやかな様子は一体どういうことか。ヒーローになったという経験がもたらす自信、というものも影響しているのだろうが、それだけでは無いだろう。
上手く説明できないのだが、トラヴィスは、従来の「やつらは全員腐っている」&「ここではないどこかへ行く」という現実逃避的な発想を捨て、現実を受け入れた(折り合いをつけた)ことが、決定的な変化をもたらしたように思える。妥協したということも出来るかもしれない。ただそれは、映画の中盤で出てくる同僚からの「陳腐な」アドヴァイス:「悩みすぎたって良いことはない」という台詞をそのまま受け入れたというものでは無いと思う。ではその違いは何かと言えば、・・・死と向き合い、乗り越えた生還体験があるということが決定的に重要だろう。加えて言うならば、やはり自分の屈折した思いを暴力的に全て昇華したカタルシス体験があることで、単に現実と妥協するレベルを超えて受け入れることに繋がったのではないだろうか。
何かきっかけが必要なんだ。
自分の殻に閉じこもるのは馬鹿げている。