雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

関わるということ

 関心を持つ、ということは案外難しい気がする。自分が知覚できる範囲を超えて何でも関心を持とうとしても情報に溺れてしまって徒労に終わるし、一方で何も知ろうとしない無関心な態度では、当然のことだが私は何物も得られないだろう。「メディアやネットの情報に接するときは取捨選択が大事だよ」という意見に異議を唱えることは難しいが、果たしてそのお題目が意味するのは「自分の興味ある枠の中での情報のみ収集する」ということなのだろうか。

 
 あまり興味も無かったのに、偶然目に入った(=メディアの暴力性)から何気なく読んでみる。すると意外にも面白くて、そこから良く分からない方向に興味の扉が開かれる。そんな経験は誰しも味わったことがあるだろう。関連リンク、ポータルサイト、記事紹介サイト、ソーシャルブックマークRSS・・・と、目に映る記事(見出しだけだが)は膨大に増えていく傾向にある。それはおそらく「特定の目的に効果的な情報収集」ではなく、他者によって暴力的にもたらされる膨大な情報によって自分の興味の扉をこじ開けようとする試みなのかもしれない。そういう意味では、ネットも既存メディアと同じであり、異なるのはチャネルの数が有限かほぼ無限か、ということくらいなのだろう。


 ネットサーフィンという言葉が死語かどうかは知らない。実際には暇つぶしの域を出ることがほとんどないと気付いているにも関わらず、根強い悪癖として私の時間を奪っていく。しかし、メディアというものは本質的にそういうものなのだろう。一般に、どうでも良いことに対してまるで当事者のように関わって、何か主張したり行動したりして感情とエネルギーを注ぐ人は滑稽に見えるが、そうした興味も無く&良く分からない&どうでも良いことに「関わってしまう」ことこそは、まさに人間らしいことなのかもしれない。ミギー@寄生獣も言っていた。「心に余裕がある生物 なんとすばらしい!!」って。