飲酒運転は、危険な行為であり、違法であるのでしかるべき罰則を受けて当然である。現在日本において定められているところの罰則は、呼気1リットル中のアルコール濃度0.15mg〜0.25mgの場合、懲役1年以下又は罰金30万円以下に加えて免許停止処分となる、というものだ。つまり、「しかるべき(=妥当な)罰則」とは、「いくらかのお金を払って、しばらく車を運転できなくなる」くらいのものなのだ。そして、あらゆる罰則を受けた個人は、罪を償ったとみなされ、国家からはその罪を許されるという仕組みになっているはずである(もちろん、被害者および遺族等の恨みはほとんど永久に続くだろうが)。
従って、飲酒運転をした者全てをより厳しく罰する必要があるならば、道路交通法を変えるべきである、という結論になる、はずである。デメリットとメリットを比較した結論として、国家の国民に対する規制をより強化する必要があるのだ、ということであれば、それで良いと思う。「飲酒運転は殺人未遂」という意見も、共感できるところはあるし、よってこのふたつの行為に対して同じレベルの罰則を設定するという考えも、それはそれでひとつの意見だろう。
ところがメディアの論調としては、「飲酒運転を行った公務員は免職となるべきである」という路線が非常に目立つのだ。一方で役所の方も世論に応えて、飲酒運転の厳罰化を進めているらしい。うーん、まあ、最近の公務員の飲酒運転がらみの事件が多かったので、流れとしては分からなくは無いけれど。
ただ、解雇は必要悪として捉えるべき手段なのではなかったのか、と思うのだ。景気が良くないから、部門および人員整理の必要があるから、労働者が会社の求めるレベルの人材では無いから、会社に(経済的およびイメージダウン等の)損害を与えたから等の場合に労働者は解雇される。それは、社会全体にとっての必要悪、仕方が無いことだから厳しい条件の下で認められているのではないだろうか。この問題に関するメディアの論調からは、そうした発想が感じられない。これが単なる公務員バッシングなら別に良いのだけれど。法的な罰則が上記のような軽いものである現状においては、酒気帯び運転を行った者に対する解雇規定を設けて当然、解雇規定が無いところは「身内に甘い」とされることにはどうしても違和感を覚えてしまう。
今後、おそらく飲酒運転の厳罰化は様々な側面から進められていくのだろうし、私自身も賛成ではある。ただ論理的に考えると、飲酒運転と、信号無視やスピード違反に運転中の携帯電話の使用、一方通行違反や一時停止違反等の間に大した差があるとは思えない。従って運転関係全般の規制強化という動きになることも理屈としては考えられる。しかしまあ現実的には難しいだろうし、結局は飲酒運転の一点突破が起きると予想される。けれども、それでは道交法は変えられない(法律は整合性が好きなのだ)。ということは法に頼らない厳罰化が進む、って、これどうなんでしょうね、ホント。