雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

飲酒運転と解雇

・記事:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070712-00000149-jij-soci


 さて、この最高裁の判断をどう見るか、だ*1。飲酒運転はそれほど悪質な犯罪ではないので、そのことを理由にした解雇は処分として重すぎるのではないか、という理屈なのだろうか。現状の法体系に基づいて導かれる法的な答は、まあ、こうなってしまうのだろう。不満を抱く人もいるだろうが。もちろん今後の世論の動きによっては、飲酒運転をどう捉えるかというそもそもの解釈が変わる可能性もあるのだが、とりあえずのところは、「酒気帯び運転で解雇」はダメですよ、というわけだ。

 
 話は少し逸れるが、ふと思ったこと。駐車違反の新対策が早くも効果が薄れ始めたことを鑑みても、やはり犯罪を即時にかつ簡単に減らそうとすることは困難なのではないだろうか。厳罰化や積極的な取り締まりだけで犯罪が消えることはない、と思うのだ。どれほど厳しいルール(法)を作ったところで、それを守ろうとする人がいなければ、(全員に刑罰を与えることは現実的には不可能なので)ルール自体が無力化してしまうのだ。ルールを成立させる第1の要件とは、大多数の人が守りたいと思える、いや、「守りたいルール」は困難だとしても少なくとも納得できるルールを作ることなのではないか、ということ。


 そして、犯罪を減らすには人の意識が根っこの方から変わらなくてはならない、ということであれば、それはどうしても時間と根気がかかるのだ。飲酒運転についても同じで、一時的な熱狂だけではおそらく変わらないのだろう。つい数年前まで、多数の日本人は飲酒運転に対して「捕まったらアンラッキー」くらいに思っていたわけだし。私達は、「酒気帯び運転」レベルを含めてとにかく徹底的に排除すべし、と考えているのだろうか。そうであれば、本当に大切なのは「これから」なのだ。今回の判決がおかしいと思う人は、これからも地道に、同僚や家族や周囲の友人に注意をし続けるなどの行為を継続して、(飲酒運転をしないとかいうレベルでは無くて)安全運転そのものを「価値観」または「文化」とするところまで目指すのが本筋なのだと思う。果たしてそのようなことが出来るのか、と考えると、正直難しいのではないか、と思ってしまうのだが。

*1:こういう教師が消えてくれればいいのにな、という正直な想いは置いておくことにする。学校の先生に対しては私怨を抑えるのが難しいな。