雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

 発作が起きたのでメモしておく。帰宅途中に、死のうか、という思いが突如現れ
たのだ。何か辛いことがあってそう思った、ということではなく、なんとなく/突然
に、という類の発作はなかなか危ない。初めてのことでもないのだけれど。


 今はとりあえずこうして生きているし、もう問題ない。ただ、また今度こうした思
いにとらわれる時に備えて、当時の思考を記録しておくことにする。以下、概要。




 意味や価値は、生きているものだけが所有する。死んだものからは、全ての意
味が剥ぎ取られ、その一部だけは生きているものが伝説として語り継ぐだろう。
死者は、何も所有出来ない。生者と死者の関係は、実に死者への一方的な働き
かけであり、死者は関係性すらも剥奪されてしまうのだ。死とは、全てを手放すこ
とだ。


 だとしたら、いつ、どこで如何なる理由で死んだとしても、死ぬ本人にとっては、
全くどうでもいいことだ。今死のうが、明日死のうが、今こうして死ぬべく考えてい
る私にとっては、関係の無い話なんだ(明日生きている私にとっては、とても重要
な意味を持つのだろうが)。


 生きたい、と思うと同時に、今から死ぬのだ、という覚悟というか諦め感もある。
今ここで死ぬこと、それならそれで仕方ないな、どうでもいいや、と思っていた。
何故死にたいと思うのか、という疑問は起こらなかった。



 ふと「友情は本人が生きている間に示すものだ」という映画の台詞を思い出す。



 田んぼの水面に、夕日が浮かんでいて、とても綺麗だった。



ここまで。



 家に着き、少し横になる。目覚めてうつらうつらしていたとき、幻聴があった。初
めてのことだった。誰かが扉を開けて家に入ってきたようだ。何か物色しているよ
うなので、目を開けて見回したが、誰も居ない。また目をつぶると、再び足音と、
そして何か話している声が聞こえる。今度は目を開けても音が消えない。驚いて
家の中を探すが、やはり誰も居ない。声は聞こえる。どうしたことだ。誰の声だ。
焦る。怯える。・・・しばらくすると、声は頭から消えていった。夢のようなものと
考えていいのだろう、か。


 もう、死にたいなどとは思わなかった。ただ、お腹が空いたな、と思った。チキン
ラーメンを食べることにした。




 こんなことを書いたら、人によっては有難いことに心配してくれるかもし知れないし、それはとても申し訳ないことだと思う。この項目で記述することは、注目されたいからでも心配して欲しいからでもありません。これは単なる記録なのです。