雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

不眠

 最近、不眠で悩んでいる。昨晩も、布団に入ったがなかなか寝付けず、しばらくじっとしていたが眠れない。お、これは眠れそうかな、という感じになってきたが、布団が暑く感じたり、急に背中や足が痒くなったりして起きてしまう*1

 

 ストレッチなどをして、身体と心をほぐしていると、今度こそは眠れそうになってきた。そのときは、身体が布団に沈み込むような感じで、意識がぼやけてきて、これが眠る直前の感じなのか、と思いながら寝たかったのだが、瀬戸際で意識が復活してしまった(眠る間際の感覚を味わえたのは、なかなか貴重な体験だった。)。

 

 結局、諦めて睡眠導入剤を飲んだらあっけなく眠れた。特に遅くまで仕事をしている日は、精神の緊張がほどけないようだ。子どもの睡眠力がうらやましい。

*1:これはおそらく、わずかな変化や感覚に敏感になっていたのだと思う。

ディスプレイの設定

 数日前から、突然、パソコンの画面が横長に表示されて困っていた。調べてみると、どうやらディスプレイのドライバが合っていないようだ*1。今回は、デバイスマネージャーの「ディスプレイアダプター」のプロパティから、「ドライバーを元に戻す」を選択するという方法で、ようやく治った。しかしこれもいずれ、自動アップデートによって再発する気もする。さて、どうしたものか・・・。

*1:こういうときにインターネットは役に立つのだが、古い記事ばかり出てきて、最新の情報にたどり着くのが難しかった。

法事

 法事のために親戚が集まった。お経を聞く、ということは子どもには苦痛だな、としみじみ思いつつ、自分自身、いい年をして良く理解できないところがある。南無阿弥陀仏の「南無」とは何か、また「阿弥陀」とは何ぞや。

 

 とは言いつつ、冠婚葬祭だからこそ、皆が集まれたわけで。せっかくなので美味しいご飯をいただこうと、料亭へ。さすがに美味しかった。ひと口ごとに「うむむ」と唸るほどの旨さ。残念ながら、大人向きの味で、子どもには不評だったが。味覚は変わるからね。

 

 それにしても秋の京都は混んでいた。

 

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冬の紅葉

 強烈な寒気。もはや冬が来たようだ。しかしまだ霜月ということで、紅葉を見に近所の寺へ散策に出かける。紅葉の色づきが、少しだけ遅いようで、見頃は来週だろうか。ここの綺麗な境内は、地域の方々の労力の賜物。丁寧に掃除して、綺麗に飾り付けをしている。素敵なお寺だ。観光客も、少しずつ増えているのだろうか。また、地域の祭りを兼ねているのか出店が出ており、餅とおにぎりと豚汁を食べて身体を温める。美味しかった。餅はもっと食べたかったな。

 

 ・・・帰宅後、少し喉に違和感が。この寒さでやられてしまったか。しかし寒いな。

 

アドラー心理学を語る(1)~(4)

 

性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)

性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)

 

 

グループと瞑想 (アドラー心理学を語る2)

グループと瞑想 (アドラー心理学を語る2)

 

 

劣等感と人間関係 (アドラー心理学を語る3)

劣等感と人間関係 (アドラー心理学を語る3)

 

  

勇気づけの方法 (アドラー心理学を語る4)

勇気づけの方法 (アドラー心理学を語る4)

 

 

 野田俊作著。「アドラー心理学」というが、心理学というよりはひとつの哲学と捉えた方が理解しやすい。アドラーさんの考え方によるとこういう見方、生き方もできるね、という風に読むべきではないか。そういう意味で、アドラー心理学を受け入れられるかどうかは、人によると思う。私の場合は、腑に落ちることが多く、かなりしっくりきた。

 

 人間を、モノ扱いせずに人間として接すること。これは「箱」シリーズにおいて最も重要な考え方だったと思うが、本書でも同様の話は繰り返し登場する。縦の人間関係をやめて、横の人間関係に入ること。怒りをもって支配するのではなく、また評価者として褒めるのでもなく、対等な立場で接すること。パターナリズムに陥って(過保護になって)spoilするのではなく、その人自身に責任を負わせること。自身について、「理想像と比較してダメな自分」とみるのではなく、長所も短所も含めて今の自分をありのまま受け入れること。これらは皆、人間というものをどのように認識するか、という点で、大体同じ価値観が根底にあると思う。

 

 人は、目的をもって感情を作ることができる。感情に支配されることもあるが、抗うことも可能である。「自分ではどうすることもできない」と簡単に言うことは、許されないのかもしれない。目的論に立った心理学、というのは、面白い視点だと思う。

 

 人間の心は、機械のように、因果関係だけでは説明できない。仮に過去に何らかの原因が存在したとしても、現在の自分は、自分自身が作り上げたものだ。自分の意志で(意志「だけ」で、とは言えないが)選び取ったものだ。そういう意味で、人は変わりうるし、未来は変えられるし、誰しも幸福になり得る。それは、自己責任論に繋がるので、厳しい見方でもあるのだが。

 

 過去を振り返って後悔するのではなく、未来を思って不安になるのでもなく、「今、ここ」に焦点をあてること。Be Here Now。「他人が悪い/他人を変えたい」と被害者面をするのではなく、今、自分が何をできるのか、何をしたら改善できるのかと考えること。

定年ゴジラ

 

定年ゴジラ (講談社文庫)

定年ゴジラ (講談社文庫)

 

 

 重松清著。定年後の男性の日常生活と家庭を描く物語。主人公は偏屈で頑固、決して魅力的な人柄ではないが、本作のようなテーマにおいては、かえって現実味がある。

 

 主人公をはじめとする男性4人組は、定年退職後に時間を持て余しており、「余生」という言葉に拒否反応を抱きつつ、心底納得している様子でもある。ただ、主人公以外の人達は、町内会長をしたり、妻と共通の趣味に走って北海道に引っ越したり、大学の教養講座に通い出したりしているのに、主人公は結局何も始めていない。仕事もなく、家事もせず、趣味もなく、特に新たなことに挑戦しない人生は、それは退屈で当然だろうと思う。

 

 長く生きていると、いつしか未来よりも過去の方が長くなってくる。未来は日に日に小さくなり、過去は奥行きと厚みを持つようになる。だからこそ、過去に埋没しないように意識的に過去を断ち切る、または未来を切り拓く、いや、無理やりにでも現在に焦点を当てなければならないと思う。ふと、寺山修司の言葉を思い出す。ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない。

 

 果たして定年退職後の人生は「余生」なのか、「第二の人生」なのか、そもそも人生において定年退職なるものに意味を置きすぎるべきではないのか。そんなことを考えつつ読んだ。

 

 そして、この作品のもうひとつのテーマは、家(マイホーム)と街(ニュータウンと呼ばれる開発分譲宅地)。都市部に長時間かけて通勤する人のために街をつくる、という発想*1は、住民が通勤しないようになった場合にどのような問題を引き起こすのか。人と同じように、街も年を取る。老いを迎えれば、変化を受け入れざるを得ない。しかし、その趣旨および歴史的経緯からして、「ニュータウン」には多様性を受け入れる土壌がない。同質性や均一性による居心地の良さと引き換えに、街の面白さや文化的度合いは奪われていくのだと思う。

*1:こうした発想は、すでに現代日本に適合しない気もするが。

バドミントン

 たまには身体を動かさなくては、と公園に出かけ、百均で購入したラケットとシャトルを使ってバドミントンをしていたら、ラケットの糸が切れてシャトルが突き刺さるという、コントの様な状態に。

 

 やっぱり百均は駄目だな、と、帰宅後にアマゾンでYONEXのラケットを購入する*1。到着後に早速試してみたところ、ガットの張りがあるためか、なんとなく打ちやすい気はした。なんとなく。

 

 しかし、本当に重要だったのは、シャトルだったようだ。ラケットのついでに購入したシャトル(同じくYONEX)が、百均の羽と比べて段違いに良かった。見た目は何も変わらないのだが、ふわっと高く飛び、飛距離も出るので、下手な私でも打ちやすく、これならラリーが続く。妻も「全然違う」と驚いていた。そういう意味では、良い商品を買ったのだろう。本格的な冬が来るまで、また練習しに行きたい。

 

 

ヨネックス(YONEX) バドミントン シャトルコック メイビス40BP (3ケ入り) MIDDLE M40BP

ヨネックス(YONEX) バドミントン シャトルコック メイビス40BP (3ケ入り) MIDDLE M40BP

 

 

*1:1200円程度の商品で、それ自体は高価なものではないのかもしれないが、「2本100円」と比較すると価格は20倍なので、ものすごく高く感じた。