雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

定年ゴジラ

 

定年ゴジラ (講談社文庫)

定年ゴジラ (講談社文庫)

 

 

 重松清著。定年後の男性の日常生活と家庭を描く物語。主人公は偏屈で頑固、決して魅力的な人柄ではないが、本作のようなテーマにおいては、かえって現実味がある。

 

 主人公をはじめとする男性4人組は、定年退職後に時間を持て余しており、「余生」という言葉に拒否反応を抱きつつ、心底納得している様子でもある。ただ、主人公以外の人達は、町内会長をしたり、妻と共通の趣味に走って北海道に引っ越したり、大学の教養講座に通い出したりしているのに、主人公は結局何も始めていない。仕事もなく、家事もせず、趣味もなく、特に新たなことに挑戦しない人生は、それは退屈で当然だろうと思う。

 

 長く生きていると、いつしか未来よりも過去の方が長くなってくる。未来は日に日に小さくなり、過去は奥行きと厚みを持つようになる。だからこそ、過去に埋没しないように意識的に過去を断ち切る、または未来を切り拓く、いや、無理やりにでも現在に焦点を当てなければならないと思う。ふと、寺山修司の言葉を思い出す。ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない。

 

 果たして定年退職後の人生は「余生」なのか、「第二の人生」なのか、そもそも人生において定年退職なるものに意味を置きすぎるべきではないのか。そんなことを考えつつ読んだ。

 

 そして、この作品のもうひとつのテーマは、家(マイホーム)と街(ニュータウンと呼ばれる開発分譲宅地)。都市部に長時間かけて通勤する人のために街をつくる、という発想*1は、住民が通勤しないようになった場合にどのような問題を引き起こすのか。人と同じように、街も年を取る。老いを迎えれば、変化を受け入れざるを得ない。しかし、その趣旨および歴史的経緯からして、「ニュータウン」には多様性を受け入れる土壌がない。同質性や均一性による居心地の良さと引き換えに、街の面白さや文化的度合いは奪われていくのだと思う。

*1:こうした発想は、すでに現代日本に適合しない気もするが。