唐突に始まるクロロ対ヒソカ戦。この後の展開が、王位継承戦とどうかかわってくるのか、そして第35巻はいつ読むことができるのか、楽しみと不安が入り混じる。ハンターハンターの新刊と、ヒストリエの新刊は、どちらが先なのだろう。
生に意義や意味や理由などは与えられておらず、各自それぞれが生きていく中で意味づけをするものだろう。自分の人生はその人のものなのだから、どのように生きてどのように死ぬのかは、他人がなんと言おうと、また他人になんと思われようが、皆それぞれ好きなようにすればよい。その代わり、他人にはその責任をとれないという点は理解しておく必要がある。
生は代替性がなく、「2回目」もなければ、「交換」もない、自分にとって一度だけのものだ。どうせいつかは皆死んでしまう。「死んでしまうからすべては無意味」とは思わない。むしろ、いつか来る死の前に、何をしたいか、何を残したいか、という点に焦点を当てることになる。
これは、幼い子でも、親であっても、高齢者であっても変わらない。いつ死ぬかなんて、誰にも分からない。過去に報いるために生きているわけではないし、未来の安定のみを目指して生きているわけでもない。今、生きている自分がここにいる、という点をもっと意識すべきだ。
ヒメシャラと紫陽花の花が咲いている。梅雨の日曜日は、意外にも快晴。夫婦ともに運動不足を解消する狙いもあり、少し遠出して、行ったことのない公園へ。出かけるまでは面倒くさそうにしていた長男も、着いた途端に駆け出して、初めての遊具に果敢に挑戦し、原っぱにいる昆虫を捕まえ、とても楽しそうだった。
風が気持ち良い爽やかな天候の下、少し汗ばむほどに身体を動かし、草木に囲まれて昼食をとる。日頃の鬱屈した気持ちが解消され、凝り固まった心と体がほぐれていく。そうだ、自分はこうした時間のために働いているのだった、と、ともすれば忘れがちな「働く理由」を再確認する。子どものために働いている、という考え方も間違いではないかもしれないが、子どもがいるから働き続けられている(エネルギーをもらっている)、という事実もまた真なのだ。
帰りに老舗の茶屋へ行き(店舗は2年前にできたばかりらしく、新しくて綺麗だったが)、妻は抹茶パフェ、私と長男は焙じ茶パフェを頼む。大人には実に美味しかったのだが、残念ながら(?)、この上品な苦みと甘みの組み合わせは子どもにはまだ早かったようだ。「スシローのパフェの方がよかった」とは、さすがに酷い台詞だと思ったけれども。
夕食はシラス丼、エビとアボカドのサラダ、茹でたトウモロコシにビール(アサヒのドライプレミアム)。家族でNHKの「ダーウィンが来た」を観ながら、今日はなんだか贅沢な一日だったと感じた。きっと数年後、数十年後に振り返って、本当に贅沢な一日だったんだなと思い返すのだろう。
毎朝、Eテレで「0655」を観ている。今週は「上野動物園、準備中」という歌が毎日流れている。開園前の動物園、飼育員さんの仕事ぶりや朝の動物の様子などを眺めているうちに、動物園に行きたくなってきた。
幸い、天気に恵まれ、暑すぎず寒すぎず曇り空時々晴れ。動物園にはこういう天気が最適なのだ。家を出るのが少し遅くなってしまったが*1、全ての動物を見る。手長猿の動きに圧倒され、カバのあくびに興奮し、動かないナマケモノをぼんやり眺め、そして象の食事と水浴びを堪能する。
帰りにはソフトクリームも食べたし、まあ、動物園は楽しいところだ。
*1:最近、長男は出かけ前に30分ほど必ずグズる。叱ると大泣きする。少し時間を置いてから本人が謝って、気を取り直して出発、という謎の儀式。結果として道路が混み、到着は予定より1時間遅れる。なんとかならないものだろうか・・・。
HUNTER×HUNTERは、最早中年向けの連載漫画である。したがって、連載再開と言われて「早くジャンプが読みたいな」と目を輝かせる少年などほとんどおらず、「富樫が書くなら俺も仕事頑張ろう」と考える私のような生気の無い目をしたオッサンの方が多いと推測される。
まあ、ともあれ、めでたいことで。