雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

子育てと「自分の時間」について

 最近の長男は、小走りでちょこまかと動き回り、階段も乗り降りできるようになり、車も上手に乗りこなすし、椅子だろうが机だろうがとにかく何でも登ろうとする。言葉も、単にオウム返しする段階から卒業しつつあり、聞かれたことに対して自分なりに考えて返事しようと努めている。


 そうして成長していく様をみるのは、とても楽しく、疲れるけれども休日はほとんど一日中付き合っている。この土日も、公園で砂遊び、散歩に買い物、絵本読みに食事、風呂、寝かしつけと、家事と子育て以外ほとんど何もできなかった。暑くなってきたのでサンダルや半ズボンなど、ユニクロ無印良品で夏物衣類を一式購入したが、自分のものはひとつも買わなかった。


 こうした状況が続くと、ふと「自分は毎日仕事と家事と子育て、同じようなことばかり繰り返しているが、これで本当に良いのだろうか」と根拠のない疑問を抱くときもある。特に周囲の知人が、仕事の世界で活躍している報せを聞くと、むやみに焦りと不安を感じてしまう。自分のために、将来のために時間と労力を費やすべきではないか、と考える。


 しかし、冷静になって振り返ってみると、そうしたことは子どもとは何の関係もないことに気付く。子育てをしながらキャリアアップをしている人もいるし、子どものために犠牲にしている何かなど、そもそも私には存在しなかったのだ。子育てに没頭しているのは、単に私がそう選択しただけの話であって、むしろ何の彩りも無い退屈な自分の人生に対して、子どもがいるからこそ意味を見出すことができるだけ、と考えるべきなのかもしれない。「子どもがいるから○○できない」という考え方には根拠がなくて、「子どもがいてもいなくてもどうせ○○はしていない」と考える方が自然だろう。親の無為を子どものせいにするのは、とても空しいことだ。