雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

緊張について(学術的に正しいかどうかは知りません)

■まとめ

    1. 緊張とは短期間に激しいストレスを受けたときの症状である
    2. ストレスを完全に消すことがほとんど不可能であることと同じく、緊張から完全に逃れることも出来ない
    3. 緊張に対する考え方の出発点は、「緊張している自分自身をどうにかしなきゃ」ではなく、「ストレスを受けて悲鳴をあげている身体と心を、私が癒してあげよう」である。


先日、自分の担当業務についての審査会が開かれ、結構高い役職の人達に囲まれて説明をする機会があった。相手は皆幹部であり、かつほとんど私の知らない面々であったので、とても緊張した。私はもともとアガリ症であるし、そのときの状況からすれば緊張するのは仕方が無い。そのときに色々思ったことを少し書いてみる。


審査会の前、極度に緊張していることは自分でもよく分かった。そこで私は、この緊張をどうにかほぐしたいと思った。こんなに緊張したままでは仕事にならないと感じたからだ。さて、どうするべきか。最初は「説明の準備さえきちんとできていれば大丈夫だ」と思い、説明の要点を確認し、流れを頭の中で整理、簡単にリハーサルをして、質疑応答の想定をした。うん、多少は落ち着いた気がする。おそらく自信を取り戻したために心に余裕が出来たからかもしれない。

しかし、それでもやはり緊張している。そこで少し冷静になって、そもそも「緊張している状態」とはどういうことを指すのか、今の自分を理解しようと試みた。精神的には、「上手に出来るだろうか」という不安と、「失敗したらどうしよう」という心配があった。一方で肉体的には、心臓の鼓動が激しくなっていたこと、呼吸が浅く回数が多いこと、なんだか頭や身体が暑いこと、手足(特に指先)が震えること、胃のあたりが痛く気持ちが悪いことなどの現象が起きていた。


そうか、これが「緊張」なのか、と分かった気がした。そしてもしこれが緊張の全容ならば、順次その要素を打ち消していけば緊張を無くせるのではないか、と思った。
1精神的諸症状について
「準備は適切に出来ているので安心してよい」「完璧に準備することは不可能であり、多少の失敗は許容範囲である」「大切なのは落ち着いて受け答えすることであり、そのためには今の緊張を抑えることこそが重要である」などの呪文を繰り返し唱える。
2肉体的諸症状について
それぞれの肉体状況は、私の意図しないものであり、それはつまり私の意識で制御できていないということである。そうであれば、胃のあたりをさすったり、指先を暖めてもあまり意味が無いのではないかと思った。目指すべき方向は、いつものように自身の肉体と意識を仲良くさせることにある。そのために、まず自らの意識を仕事から離して、自身の肉体に集中する。足の裏から足首、膝、太ももの筋肉、腰、背筋、内臓、肩、首、指先の全てを意識する。今の自分にできる最も美しい姿勢をとろうとしてみる。そうして身体の感覚を取り戻せたら次に呼吸を意識する。姿勢に気をつけたまま、深呼吸を4,5回する。すると、動悸は治まり、指先の震えなどの症状はほとんど治まっていた。「胃の辺りの不快感」を除いて。
ということで、審査会が始まるまでに、私の感じていた緊張はほとんど消えてしまっていたように思えた。あー、よかった。これはいい経験になった。この経験を活かせば、今後緊張を感じたときも簡単に抜け出せるに違いない・・・と思った。

しかし、私にはひとつ誤解があったのだ。その誤解に気付いたのは審査会が始まってから。幹部陣の前で説明をし始めたとき、彼(彼女)らの視線を感じて、私はまた緊張し始めてしまったのだ。説明する口調はひどく早まり、説明ポイントをひとつ抜かしてしまったのだ。体温が高まるのを感じ、呼吸が浅くなる。審査会を終えた後、胃の不快感が激しい。あれ、おかしいな。緊張は退治したはずなのに。どういうことだろう、と不思議に思ったときにやっと分かったこと。



緊張とは、ストレスだったのだ。正確には、極度に大きなストレスを短時間で受けたときに現われる症状が「緊張」だったのだ。そう考えれば色々な点で説明が簡単にできる。
何故緊張を感じるのか(ストレス要因)→(1)自身の負った責任が重い。(2)助けを誰にも求められない、逃げられない状況である。(3)知らない人(しかも目上)に囲まれることはストレスを感じる。(4)不慣れなことをするときはストレスを感じる。
というように捉えなおしてみると、いくら事前に「緊張」をほぐしても舞台に上がったらやはりストレスを感じてしまうわけで、結局胃の不快感からは逃げようが無いわけだ。緊張から逃れるには、外部からのストレスを受け付けないような精神状況(没頭/夢中)になる以外は無いのではないか。しかし一方で緊張の正体とはストレスの一形態であると認識してしまえば、対処は楽である。「自分自身が緊張している」状態から抜け出すよりも「自分は今、外部から大きくストレスを受けている」状態への対処の方が簡単な気がするのだがどうだろうか。なぜ簡単かといえば、後者の場合、自身の意識は正常であると認識しているからだ。もちろんストレスによってイライラしたり落ち着かない精神状態にあるのだが、それでも敵は外部にあると分かっているだけましである(前者の認識の場合、敵は自分自身になってしまい、どう戦っていくべきか分かりにくい)。外部からのストレスに対して自身の精神と肉体をどう守っていくかについての方法は、人それぞれになるのだろうが。




えらく長文になってしまった。このようなことは常識なのかも知れないけれど、まあせっかく自分で気付いたことだしとりあえず書いてみた。