報道は、それを知らしめることが社会のためになるという前提に立っており、報道する対象の選択は読者(視聴者)が求めているもの、として判断を外部に委ねている体裁をとっている。しかし実際には、「社会のため」になるかどうかを判断しているのは報道機関自身であり、外部からの批判を内在しない構造は独善的な態度に繋がりやすい。
今般の柔道界における暴力事件について、告発者をどうにか報道しようと一部のメディアが頑張っているようだが、告発者の氏名を公にすることが社会にとってどのような正の効果を生み出すのか、良く分からない。問題解決に繋がるかどうかは考慮せずに、ただ単に暴露したい、スクープしたい、炎上させたい、報道することに意義がある、そんな「ためにする報道」を続けていると、いつしか報道の大儀が失われていくことになる。おそらく、今も女性柔道選手への取材が執拗に行われているのだろうが、果たして氏名を知って喜ぶのは誰なのだろうか。
以下、産経新聞の最近の記事をリンクし、最後に、読売新聞の記事を貼ってみる。
- http://sankei.jp.msn.com/life/news/130127/edc13012708500001-n1.htm
- http://sankei.jp.msn.com/life/news/130129/edc13012907390000-n1.htm
- http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130131/mrt13013122100016-n1.htm
- http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130206/mrt13020611430004-n1.htm
- http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130206/mrt13020608210001-n1.htm
- http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130201-00000096-san-soci
- http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20130206-OYT1T00027.htm?from=ylist