父親の影響だろうか、私は小さいころから巨人ファンだった。小学生の頃は、男の子のスポーツと言えばまず野球であり、当時活躍していたクロマティなんかが好きだった。けれども、次第に巨人の主砲は年々と変わる様になって、他球団の選手の寄せ集めになりだしていた。巨人ファンの熱も冷め始めていたそんなとき、松井秀喜が入団した。久しぶりに、生え抜きの選手が巨人の4番として現れたのだ。
甲子園での5回連続敬遠で、プロになる前から伝説となっていた怪物である。そして、彼は見事、期待に応えてくれた。松井の成長、活躍を見ていると、前よりも野球を見るのが楽しくなっていた。松井の魅力はスイングの速さと、その結果としての打球の速さである。打った瞬間にホームランと分かる打球が魅力的だった。学生の頃、父親に連れて行ってもらった東京ドームでは、松井の打席に胸を躍らせたものだった。
松井の魅力は、単にスラッガーとしての力量だけではなかった。実力に裏打ちされたスター性、にもかかわらず飾らない、気さくで誠実な人間性、そして野球人としての生真面目なプロフェッショナルに、私は魅了されていた。例えば、ホームランを打っても相手投手への礼儀としてガッツポーズをしないとか、マスコミの取材に対しても、その先の視聴者へ向けてという意識を持って誠実に答えるとか。
松井はその後、日本を代表するスラッガーとして成長し、日米野球では松井の活躍を楽しみに見ていた。気が付けば、巨人ファンというよりも、松井秀樹という一選手のファンになっていた。そして今から10年前、松井が日本を出て、ニューヨーク・ヤンキースに行くと知った。私は頑張ってほしいという思いと、日本で活躍が見れなくなる寂しさと、両方の気持ちを抱えていた。ただ、翌年の巨人が、昨年まで松井とホームラン王で競争していたヤクルトのペタジーニを引き抜いて4番に置いたとき、私は巨人ファンを止め、日本のプロ野球から興味を失ったのだった。
時差の関係もあり、大リーグの試合を生で観ることは出来ないので、日々のスポーツ番組での大リーグコーナーが楽しみになった。松井が打てば、私も頑張ろうと素直に思えた。初年度は適応に苦しんでいたが、次第にその実力を発揮し、チームでの信頼も勝ち得て、やっぱり松井はすごいと尊敬していた。無理な守備のために手首の骨折をしてからは、彼の復活を期待し、その後ワールドシリーズでMVPをとったときの活躍には涙を流したものだった。
そして今日、その伝説の幕を閉じた。スポーツ選手に怪我は付き物なので、膝が限界だと彼が感じたのならば、それは仕方のないことなのだろう。日本に帰ってもう一年、ということも願っていたけれど、今はただ、彼の偉大な足跡に敬意を示し、お疲れ様でしたと言いたい。本当にありがとう、松井選手。