自己の不安は、他者への不信を招く傾向にある。行き着くところ、コミュニケーションの支障となり、他者との接触が億劫になる。
何かを話していることは事実だとしても、何も通じていないような気がしてならない。言葉を費やしても空転するばかりで。他人の気持ちは結局のところ良く分からないものであるし、そうであれば他人に自分の気持ちを分かってもらうことも不可能に違いない。
それにもかかわらず明日も会話を続けるのは、いつか出会った僥倖を覚えているからなのだろうか。コミュニケーションは、それ自体が奇跡的なものだという気がしてならない。