雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

石川県加賀温泉、愛知県徳川美術館

私の両親を連れて、石川県加賀温泉へ旅行してきた。加賀温泉の宿は、温泉と蟹料理を目的とする、昔ながらの旅館だった。泉質は良いし、朝も夜も入り放題、食事もものすごいボリュームで食べきれないほど出てきた。「贅沢を体験させる」ことが売りなのだろう、確かに豪華さは感じつつ、一方で、風呂はスーパー銭湯でも十分満足できるし、蟹も「まあ、美味しいな」というくらいで1食1万円(以上?)と言われるとそこまで求めるほどでもないかな、と。コスパを意識し過ぎて贅沢を楽しめないとは、我ながら情けない。それでも私は、自分のことを特別待遇(厚遇や贔屓、例外扱い等)してもらうことが苦手なのだ。

 

ところで、宿には外国人スタッフが数名いた。どこも労働力不足が大きな問題となっているようだが、こういう昔ながらの温泉旅館もそうなのか。いや、むしろ地域に若い人が居ないだろうし、コロナ禍で事業継続も危うかっただろうし、若い人がいなくて当然か。スタッフの方の日本語は流暢で、聞きたいことは教えてくれたのだが、私の父親は不満だったようだ。まあ、古参の仲居さんのように応対が完ぺきではなかったかもしれないが、考えてみれば海外のホテルで接客業をするなんて相当難易度の高い仕事であり、とても自分には務まらないと思う。

 

翌日、愛知県名古屋市徳川美術館へ行ってきた。初めて名古屋市内を運転したが、どこもかしこも5車線で、車線変更ばかり気になって運転しづらかった・・・。

 

美術館の展示品については、両親は満足したようだが、長男には何がすごいのか全く分からなかったようだ(刀剣は気にいったようだが)。このことを捉えて、「教養があれば物の良さが分かる」という考え方も可能だろうが、私はむしろ「何が良いと感じるか、どこに惹かれるかなんて、人それぞれであって不変ではないのだ」ということ。江戸時代には、多くの日本人が茶碗や茶壷、筆箱や硯に美を感じて、その所有する物の美を競っていたのだろうが、少なくとも現代の私にはそれほど興味は惹かれなかった。

 

思うに、永続的な美など無いのだ。その時、その場所の、その人の中に美が生まれるのだろう。「茶碗に美は無い」と言いたいのではなく、例えば人によっては美よりも実(用)だろうし、結局、何を重要と考えるかはその人の個性である。だからこそ、他人の評価に全権委任してはならず、自分は何が好きかという視点を持ち続けることが大事なのだ。

 

ちなみに本日の昼食は鰻。成人の日だからか、どこも満員で入れなかったが、偶然電話した店が開いていて助かった。お店にも鰻にも感謝して、ありがたくいただいた。