- 作者: 別技篤彦
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1999/08
- メディア: 文庫
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別技篤彦著。世界各国の教科書において、日本がどう説明されているかを描くことで、日本と言う国の客観的な姿を浮かび上がらせようとした本である。1992年の本ということは、もう20年以上も前ということもあって、さすがにその当時の日本像というものは、いかにもステレオタイプな書き方をしている国が多いと感じた。木と紙の家に住む、武士と寿司の国家。
しかし逆に考えると、当時そのような教育を受けた人々が、現代世界の第一線で活躍しているわけだから、極東の島国によほど興味を持つ人ならともかく、一般市民にとってはそうしたステレオタイプな日本像がそのまま維持されているのかもしれない。やはり教育というものは、長期的な視野に立って考えなければならないわけで。
もっとも日本人自体が世界各国に対して抱くイメージだって、大抵はステレオタイプな、古いイメージに過ぎないだろうけれども。いずれにしても、「外」の視点から日本を捉える、という発想は面白い。それが画一的な見方であればあるほど、やはりそれは日本国における独自性とみなすべきものなのだろう。少なくとも、国際的判断としてはそう受け入れざるを得ないのではないか。
また、著者は、この本において社会科教育における提言を行っている。それは、統計データを基にした知識偏重型の記憶主義的教育から脱して、社会や人間理解そのものに中心を置いた総合的(または学際的)教育を行うべきだ、というもの。1990年代におけるアメリカの社会科教育を念頭に置いたもので、これらは現代日本教育における「総合的学習」に通じるものがあるのかもしれない。
自分の記憶を振り返ってみても、確かに日本の社会科の教科書は面白くなかった。というより、分かりにくかった。テスト勉強も、教科書の重要事項にラインマーカーを塗って覚えるやり方が主流であって、例えば、大雑把でも良いから全体像を掴むとか、読み物自体として面白いから学習が進む、というような教科書(副読本や資料集は別として)は無かったと思う。これは別に、教科書にイラストを増やして理解の助けをさせるとか、内容量を減らしてゆとりをもたせる、等と言いたいわけではなくて、社会科の教科書はいくらでも興味深い内容に進化できるのではないか、という感想である。
本書によると、イギリスの公立学校では「教科書」をそれ専用に作成するのではなく、学校の判断で、市販の一般書を教科用図書として利用するのだそうだ*1。こうした手法は、知識の網羅的学習という意味では若干の不安を感じるけれども、生徒の興味を引きだすという意味では優れたやり方だと思う。国家が雛形*2を作り、それに合った形で出版社が書籍を編集し、検定を受けて修正された教科書では、学習の面白さを引き出すのは難しいだろう。