雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

デビルマン

デビルマン (1) (KCデラックス (435))

デビルマン (1) (KCデラックス (435))


デビルマンは子どもの頃にテレビアニメで見ていただけで、いつも醜いモンスターをデビルマンが倒すという、アンパンマンと全く変わらないストーリーのものかと思っていた。覚えているのはテーマ曲くらいか(今調べてみたらなんと阿久悠が作詞)。


しかし、だ。漫画の方は大傑作だったのね。物語の壮大さ、描かれる人間観、悲劇性、絵の迫力、いずれの観点から見ても圧倒的に素晴らしい。私にとっては『AKIRA』、『風の谷のナウシカ』、『寄生獣』以来の衝撃だ。


不動明が絶望する場面が心に残る。命をかけて守ってきた「人間」が、守る価値の無い、醜いものであることが分かったとき、彼は全てを失ったのだ。人生を賭して守るべきものを失ったとき、それが死であれば悲しみだけが残るが、それが価値喪失であった場合、そこには悲しみと同時にやり場の無い怒りが生まれるだろう。かくしてデビルマンは(恐らく敗北と死を悟りつつ)神と戦い、死ぬ。




私は、自分だけのために生きている、と言えるほど強い人間じゃない。何かのために生きている実感が欲しい。それは物語性≒意味≒価値を人生にもたらしてくれるから。しかし、それを失ったとき、もしくはその価値を見失ったとき、私はその喪失感から如何にして立ち直るのだろうか。

新たに何かを見つけて、それのために生きるか。それとも世界への絶望を保持したまま自らのためだけに生きるのか。って、そんなことが出来るほど強くないから困っているんだよね。けれど、人生を賭けるべき代替品なんてそんな簡単には見つからないよ。お金は魅力的だし、人生をかけるにふさわしい相手だけれど、どうしてもそれだけじゃ満足できない(と言えるほどの金も持ってないけれど)。泣けてくるが、絶望と共に生きるしかないのだろうか。それとも、さっさと死ぬべきなのか。死んで生き返って最初からスタートできるんならとっくにやってるのだが。



身捨つるほどの祖国はありや。


これが、絶望だ。命ある限り失望は続く。醜いものを見ろ。無力な自分を知れ。身捨つるほどの祖国なんてねーよ。いつどこにあったんだそんなもの。


身捨つるほどの祖国はありや。
身捨つるほどの祖国はありや。
身捨つるほどの祖国はありや。