雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

複数の居場所を確保する

人手不足の部署の応援のため、2週間ほど派遣勤務をしてきた。仕事内容はもちろんのこと、場所も同僚も何もかもが異なるので大変なこともたくさんあったが、終わってみれば良い経験だった。

 

今回の経験で気づいたのは、固定された職場にずっと居ると、見るもの聞くことやること全てが「同じ枠組みの中」になるので視野が狭くなってしまうということ。視野が狭くなると、その狭い世界は「深く」潜っていくことになり、些細なことが重要に思えてくる。毎日同じ人と同じようなことを話しながら同じような仕事をしていると、わずかな違いが気になったり、いつもと違う事態が起きただけで「異常事態」が発生したかのように警戒してしまう。

 

今回、わずかな期間ではあるが外の世界で働いて元の職場に戻ってみると、自分の仕事がいかにどうでもいいことであるのか、不思議なほど冷めた視線で見ている自分に気が付いた。誰がどう言っただの、あの人が文句を言っているだの、ルールの解釈がああだのこうだの、「それが一体何だというのか」とつい言ってしまいそうになる。

 

もしかしたら、私はこれまで自分の周囲の世界を必要以上に重く捉えていたのかもしれない。または、皆神妙な顔を浮かべて仕事をしているけれど、本音では「まあ、どうだっていいんだけどね。」とか、「知らんけど。」とか、心でつぶやきながら働いているのかもしれない。

 

自らの世界を狭く深く切り取ってしまうと、重くゆがんだものとなる。しかし、世界はそんな一面的なものではない。自分にとってどれほど重要に思えることも、他人からすれば実は「どうだっていい」のだ。多面的に世界と向き合うには、複数の居場所があることが望ましい。それは仕事だけでなく、学校でも家庭でも同じことだろう。主たる居場所が、嫌々ながらも抜け出せないという場合もあるが(私もそうだ)、他の居場所を確保することは可能だろう。自分の居場所は自分でつくる。やりたいことは、自分で探す。