マスクをつける生活も、すっかり日常となった。一年前はマスクが店においてなくて、争奪戦になったり、自分で作ったりしていたこともあったが、今では予備のストックも含めて不織布、布、ウレタンマスクとたくさん置いてある。外では必ずマスクをつける、まるでナウシカの世界だ。
以前、とある特殊業務のためN95マスクを装着して作業にあたったことがあるが、あのときは本当に息苦しかった。「吸っても吸っても空気が入ってこない」状態に恐怖を感じ、このままでは呼吸困難で倒れるのではと半ばパニックになり現場を離れてマスクを外したこともあった*1。
胸いっぱいに息が吸えるということは、ありがたいことだ(マスクをつけて息苦しいときは、まずは息を吐き切ると良いようだ)。子どものころ、喘息持ちだったこともあり、余計にそう思う。家に帰ってマスクを外して大きく深呼吸すると、ほっとする。精神を落ち着かせるために深呼吸するのは正しいと、改めて理解した。
それでも、まだマスクを「気分」でつけている人もいるようだ。先日見かけた年輩の男性は、最初はマスクをつけていたのだが、自分が話す場面になるとマスクをあごまで下げてしゃべり(話し終えるとまたマスクを戻す)、手元の資料を見るためにまたマスクをずらして指をなめながらめくっていた。それ、マスクを着けている意味が全くないですよ、と思うのだが、おそらく無意識の動作なのだろうし、その都度注意してもキリがない。しかし恐怖を感じる場面であった。
たかがマスク、されどマスク。マスクなしで他人と会話できる日常は、また戻ってくるのだろうか。
*1:そのときはゴーグルもしていたのだが、曇って何も見えなかったので、余計にパニックになったのかもしれない。