雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

終わった人

 

終わった人 (講談社文庫)

終わった人 (講談社文庫)

 

 

内館牧子著。定年後の生き方に悩む主人公。仕事が生き甲斐だった人間から仕事を取り上げても、他にやるべきこともない。余暇を持て余す主人公は、突然妻との旅行を計画したり、いきなり他の女性と恋をしたり、大学院受験を考えたりと、有り余る時間に翻弄されるが、幸運にも仕事に復帰することができ、また仕事にのめりこんでいく。

 

日々、「早く仕事を辞めたいなあ」と願う私のような人間には理解不能な生き方ではあるし、思考に深みがなくて薄っぺらい主人公には共感もできない。さらに言えば、著者は「会話」部分が致命的に下手である。著者は脚本家が本業のようだが、こんな説明口調で予定調和な会話を小説で展開されてはたまらない。先日読んだ「卵をめぐる祖父の戦争」が大変素晴らしかった分、本作は実に残念な出来だと感じた。

 

とはいえ、本書のテーマを「定年」ではなく「老い」と考えると、色々と考えさせられる作品ではある。人間、誰しも老いていく。老いに従い、地位や権力、能力や体力、そして家族や友人を手放していかないといけない(本人が手放したくなくても、それらは勝手に離れて行ってしまう)。一度手にしたものを放すということは、決して簡単なことではない。簡単ではないが、人間死ぬときはどうせ何もかも手放すことになる。

 

本作では、すべてを失った主人公に残ったのは故郷(と故郷の友人)という設定だが、私のように故郷の無い人間には響かない終わり方である*1。何もかも手放した人間は、一体どう生きればいいのだろう。手放し、何かを新たに掴むことができればいいのだが、年をとるとそれがまた難しくなってくるのだと思われる。「生きている限り、何度でも人生やり直しがきくよ」という台詞は、何歳まで有効なのだろうか。

 

人は、社会から完全に孤立しては生きられない。自分にも何かしらの役割があると思えなくては、生きることは苦痛でしかないだろう。これは何かの本で読んだ台詞だが、「朝、ベッドから起きる意味を持っているか」という問いは、人生の本質を厳しく捉えていると思う。それと矛盾するようだが、人生は生きているだけで十分に素晴らしいものだし、どうせ死ぬまでは生きるしかない。

 

生きるということは、どうしてこれほど厳しいものなのか、と思う。こうつらつらと考えていると、人が皆、それぞれの世界に立ち向かう挑戦者にも見えてくる。

 

*1:本作は、ふるさとに帰って元気にやり直そう、で終わってしまったので拍子抜けした。