雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

祖母の逝去

祖母が亡くなった。96歳の大往生。最期の1年は認知症も進み、介護施設で暮らしていたが、それまではずっと自宅で生活していた。祖父が亡くなってから20年間、一人暮らしを継続できたことはすごい。子どものサポートがあったことに加え、介護施設で運動を継続していたこと、歩いて暮らせる街に住んでいたこと、友人がたくさんいたことなども良かったのだろう。人生を生き抜いた祖母を尊敬する。

 

自分としては、できるだけ長男(曾孫)の顔を見せたいと思って訪ねてきたつもりだが、今から思えばもっと行けばよかったなと思う。死んでから思っても、もう遅い。人生は長いようで、しかし特定の人間と会って一緒に過ごせる時間は、思っているよりも短い。

 

大正10年に生まれた祖母は、戦争や仕事、子育てに孫育てと、本当に様々なことを経験してきた。自転車販売店を経営していたが、祖父は商売下手だったようで、店が繁盛したのは祖母の営業力のおかげらしい(私も子供の頃、祖母に自転車をプレゼントしてもらった)。仕事をしながらふたりの子を育て、商売から一線を引いてからはお茶やお花の先生として活躍したそうだ。還暦を過ぎても元気で、日本全国を旅行し、オランダや中国、カナダなど外国にも遊びに出かけていた。すごい人だ。

 

明るく、人当たりのいい人柄で、かわいらしいおばあちゃんだった(私の母親に言わせれば、また違う面も色々あったそうだが)。子どもの頃は、祖母の家に泊まりに行くのが楽しみだった。いつ行っても、大人になってからも、最後に帰るときには「もう帰るんか」「また来てな」「元気でな」と言われ、私は涙ぐむのが常だった。

 

祖母の孫は皆結婚し、すべての曾孫にも会えた。結婚報告のために妻を初めて連れて行ったときの嬉しそうだった顔と、長男が生まれたときに病院まで会いにきてくれたときの祖母の顔を思い出す。祖母は、長生きには苦労も伴うが、喜びもあることを教えてくれた。人を喜ばすのが好きだった。もちろん亡くなってしまったのはとても悲しいけれど、思い出す祖母の顔は、笑っている。