雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

節分、そしてメロディの獲得

 泣くだろうなと思いつつ、まあ季節行事だしやっておくかと、予め購入しておいた鬼の面つきの豆を台所に置き、妻に目配せをしてから変装する(といっても、全身黒い服に着替えて頭をタオルで巻き、お面を付けたくらいだが)。唸り声をあげて階段を降りていくと、妻が「きゃー大変、鬼が来たわ(棒読み)」と合いの手、鬼と目があった瞬間に長男は大泣き。節分行事は精神的虐待にならないのだろうか。泣きながらも一応豆を投げてくるので、さっさと退散して、着替えてから部屋に戻る。「お父さん、鬼がきたんだよ。こわかったんだよ」としばらく泣いていたが、節分行事もこれで無事に終了。イヤイヤ期の長男には「鬼が来るよ」という魔法の一言が必要なのだ。


 ところで最近の長男の言動を観察して気付いたこと。彼はどうやら、メロディの概念を獲得したようだ。赤ちゃんの頃、歌らしきものを発せるようになった初期は、例えばチューリップの歌でも、音程より歌詞が大事で、お経を唱えるように抑揚なく歌っていた。こちらが言った言葉を、単に繰り返しているだけの歌。それが次第に音程を取り始め、上手になっていくのは聴いていて楽しかったが、最近の彼は歌詞を出鱈目に歌うことが多くなってきた。最初は「あれ、歌詞が違うよ」と訂正していたが、しばらくして私が間違っていることに気が付いた。彼は、歌詞を出鱈目に歌うこと自体を楽しんでいるのだが、それはいわゆる鼻歌なのだ。通常、大人なら、「ふんふーん」や「ららら」と歌うことだろう。しかし、これは凄いことなのではないか、と思い直す。歌詞を離れて、旋律だけで楽しむことができるようになったのだから。本当に人間の成長の過程は、一々興味深い。


 ということで、今週末も耳鼻科、図書館、買い物、料理、掃除と、半径1キロの範囲で生活していたら月曜日が来てしまった。早く暖かくなるといいのだが。