雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

「空気」の研究

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))


 山本七平著。「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」と同じく、「日本的」なるものについての考察が記された書。日本人論について考えるなら、一度は読んでおくべき本だとは思う。


 著者は「空気」の支配について、戦艦大和の出撃にかかる、当時の軍部幹事による以下の発言で説明している。

全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う

戦後、本作戦を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思わない


 そして、こうした空気による支配は、決して戦時だけの話ではなく、現在まで営々と続く実に日本的な、「状況倫理」の理屈であり、「全体主義的無責任体制」であると断ずる。こうした空気の支配から逃れるための対策を次のように示す。

問題克服の要点は二つに要約されたと思われる。すなわち一つは、臨在感を歴史観的に把握しなおすこと、もう一つは対立概念による対象把握の二つである。


 これはつまり、何らかの対象にかかる自らの認識が、絶対化に陥っている状態にあることを自覚し、何故そうした状況に至ったのかの経緯を時間軸上でとらえ直し、かつ、あらゆる事象には善悪両面があるという事実を踏まえて相対的(複眼的)に把握し直すことが必要、ということだと私なりに解釈している。


 確かに、日本人は熱しやすく冷めやすい。そして、空気による支配は厳然として続いており、それを反省するどころか、むしろ「空気が読めない」ことが非難されるのが現代日本社会である。おそらく、「空気」を醸成する力を増したマスメディアによって、日本における「空気」の支配力は増しているのかもしれない。


 こうした現象は、著者が述べるように、一神教による絶対的な神との契約が無いからなのかもしれない。しかし、そうであるならば、求められるのは認識的な転回だけでは足りず、個としての強さこそが必要なのでないか。デカルト的な自立、つまり自らの頭で考え抜くタフネスさが必要なのだと私は思う。


 あと、追記的に書いておくと、「空気」の支配は決して日本人特有の現象ではないだろう。精神論的、もしくは根性論的な行動として良く例に出されるのは太平洋戦争時の日本軍であるが、西欧にだって空気に支配されたことはいくらでもある。無知の放言かもしれないが、魔女狩りはどうだ、ナチスはどうだ、赤狩りはどうだ。最近で言うならば、2010年のトヨタバッシングも同様だ。結局のところ、いつだって群衆心理は容易に個人を飲み込む、ということに過ぎないのではないか。