我慢というものが、他との衝突から自分を守る為に自分を押し殺すことを指すのであれば、おそらく我慢などしない方が良いのだろう。
我を通す勇気を持たず、他人とぶつかったり、嫌われたり、もしくはやり込められるかもしれないという怖れに負けた結果として、ただひたすら貝のように閉じて耐える。そんなものは美徳でもなんでもない。
己の弱さという現実から逃避して、頭の中で自己正当化をし続けた結果、残るのは筋違いな逆恨みだけ。我慢は往々にして他者への恨みを生み出してしまう。
我慢が美徳となるのは、何かを得るための代償として、自主的にその忍耐を受け入れたときだろう。何かしらの努力と結びつかない限り、我慢は負の感情のみを作り続ける。