雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

感情、表現手段、ゴミブログ

 大抵の感情は、時間が経つと自動的に弱まり、薄れ、または内省によりその形を変えていく。従って、ある瞬間に発露した感情を表現する際には、手間や時間がかかる手段をとった方がより感情的でない表現になり易いだろう。裏返せば、表現手段がより簡易なものになっていけば、それを用いたコミュニケーションもより感情的になると言っても良いのではないか。


 証拠は無いのだが、石板に文字を彫ったり、巻物に墨で書く行為を通したコミュニケーションで直情的な表現をしていた人はおそらく少なかったのではないか*1。といって別に昔の人が理性的だったわけでも、現代人が感情的な表現しか出来なくなったわけでもなかろう。


 そう考えれば、ブログ言論、ブックマーク言論、携帯メールコミュニケーション、その他諸々の表現空間で感情的な物言いが多いのも仕方ないことだと受け入れるべきなのかもしれない。私がこの雑記帳に書いていることなんかも、ブログという簡易な表現手段の恩恵を受けずに、例えば100年前の表現手段(出版とか?)に限定されているとしたら、大分ましな内容になっていたことだろうし*2


 ああ、そうか。今頃分かった。「ネットの情報はゴミだらけ」というのはこういうことだったのか。

*1:様々な思考のフィルターを通るか、または芸術という様式の枠組みに収まるか、いずれにしても直接的な表現で感情を伝達するのは困難だったことだろう。

*2:内容が向上するというよりは、下らない部分を切り捨てていたことだろう。まあ、ゴミを切り捨てたところで出版する価値が生まれるわけでも無いのだが。