雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

ゾウの時間ネズミの時間

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)


 生物の時間は、体重の1/4乗に比例する。そして、生物のサイズに関わらず、心臓の鼓動の回数は約20億回である(一生に使うエネルギー量は、体重1kgあたりにすると、寿命によらず一定である)。


 この本は本当に面白い。生物学のテキストではあるが、読む側からの感覚としては、極上の推理小説を読んでいるときの感じ、と言った方が近い。いかに生物が合理的に進化してきたか、・・・いや、結果的に生き残った生物の身体がどれほど無駄の無い合理的なつくりになっているのか、がよく分かる*1。空気を、水を、エネルギーを循環させつつ、熱を起こして身体を動かし、しまいには子孫まで残すということは、どれほど困難な事業であるかを感じながら読むと、人間という生き物がいかに例外的なものかが分かってくる。


 『寄生獣』において、ミギーは人間を「心に余裕がある生物 なんとすばらしい」と評していたが、一般的に先進国に住む人間は、心以前に「生存」に対して多大な余裕を持っていると言えるのだろう。その理由は「道具」の利用にある。武器を用いれば自分の力以上の攻撃力を得ることが出来るので、食料の捕獲を容易にすることができる。衣類や火を用いれば、自分自身では保持できない熱を維持し、更には熱を生み出すこと出来てしまう。そのようにして、人は自分の生物としてのサイズに適した地域を越えて活動することが出来るようになり、「世界」が広がった。そして、生存に余裕が出来たおかげで生まれた時間(余暇)を生かすときに「ことば」が革命的な役割を果たすことになる。そこに、「観念」という新世界が現われたのだ。こうして、人間は他の生物に見られない現象を起こすようになっていき、「生物らしくない生き物」になってしまったのだ*2


 視点も、解説も面白い良い本だった。著者の本川氏の人柄によるところもあるかもしれない。少し時間をおいて、再読したい。

*1:第7章はレイノルズ数のあたりが難しくてよく分からなかったが。

*2:なお、この段落に書いていることは、私がこの本を読んで強引に展開しただけの人間史論に過ぎないのであって、この著作にはそのようなことは一切書かれていないので、あしからず。