雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

憧れのヨーロッパ陶磁展


 天気も良いし、最近定型パターンでばかり過ごしている気がしていたこともあり、友人と京都国立博物館に行ってきた。午前中ということもあり、混雑具合は大したこともなく、ゆっくりと鑑賞できた。中国、日本、ヨーロッパの文化が交じり合いながら発展していく過程が良く分かり、なるほどー、と感心してしまった。なかでも素晴らしかったのが、陶磁器を中心としてコーディネートされた、「テーブル・セッティング」コーナー(3ヶ所)。皿、グラス、フォークにナイフ、花(とその花瓶)、テーブルクロスと、要するに単なる食卓なんだけれど、そこには思わず溜息が漏れる美しさがあった。


 出口で、少し気になるポスターを発見。京都国立博物館では4月8日から5月11日まで、河鍋暁斎なる画家さんをテーマにした特別展覧会が開かれるらしい。パンフレットには、なんとも不思議な絵が載っていて、若冲と似たような雰囲気(絵は全く似ていないのだが)が感じられる。


 博物館から出た後は、食事をとりながら話し、喫茶店に移動してからも話し込む。議論とおしゃべりの中間、という感じ。仕事に関する男女の考えや立場の違い、コミュニケーションにおける話し手と聞き手の関係、良好に付き合っていくために必要な条件、などを酒も飲まずに延々と。

 
 個人の心情を正直に吐露せざるを得ない場面も時々あったが、アルコールの助けを借りずにそうしたテーマについて真面目に話し合うときは、まるで綱渡りをしているみたいな気分だ。テーマが価値観の根幹部分に及ぶ場合は、それだけ深く傷ついてしまうテーマでもあるわけで、自らが語るときには単語を慎重に選び、一方相手の話を聞いて受け答えをするときには「共感/理解/受容」と同時に「自分と相手は違う価値観を持つ/ある意味で突き放した姿勢」を併せて伝える必要がある。ということで、かなり疲れた。なかなか貴重な機会ではあるのだけれど。


 皆、簡単に(永遠に?)答の出ない問題で悩んでいて、それは結局自分で(例え暫定的なものであったとしても)決断しなければならない。ということは誰でも分かっているけれど、人に相談することでわずかでも良い方向にヒント/新たな視点を得られる可能性はあるわけで、それはきっと無意味なものではないのだろう。話し手にとっても、聞き手にとっても。仮に何の進展も得られなかったとしても、少なくとも孤立感の解消には役立つと言う意味で、人と何かを話し込むことはやはり貴重な機会なのだろう。