雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

NHKスペシャル:激流中国〜5年1組 小皇帝の涙〜


 根強い学歴主義と、熾烈な競争社会によって構成されている現代中国の小学校教育現場を取り上げたドキュメント。印象に残ったのは、保護者と子供が話し合う場において、勉強のプレッシャーに耐え切れないと泣きながら訴える子供達に対して、社会では皆点数で評価されて、駄目な者は切り捨てられるのが現実である以上、子供は勉強してより良い点数を取り、親の期待に応えるべきだと主張する親の姿。


 世の中が競争社会なのだから、子供も同じく競争すべきである、ということを公に主張することは、日本では難しいことだ。過去はいざ知らず、現代日本では「競争に負けた者でも皆頑張って生きてきたのだし、それは今でも変わらない」とか、「競争から離れることで新しい、自分にとってより良い世界が見えてくることもある」とか、「競争を登山に例えるならば、山はいくつもあるわけで、どの山を登るかを選ぶのが人生だ」とか言うことが公的に正しい、もしくは美しいとされているのではないだろうか。

 
 ただ真剣に考えてみれば、そんな言葉は、豊かな国において、しかも一時的にだけ通用する綺麗事に過ぎないのだろうと気づく。第一、中国はまだ発展途上国なのだから日本と同じように考えてはいけない。大学新卒の就職率が7割という状況での話なのだ。やはり、他人との競争に勝って初めて明日のご飯が食べられるという言葉は、どうしても否定できない真実を含んでいるのだろう。


 それにしても、番組中盤で出てきた、ある親のコメント「競争に負けた子は家庭の荷物」には衝撃を受けた。親の、こうした意識というものは簡単に子供に伝わってしまうだろう。そのプレッシャーは想像するだけで恐ろしい。そして、このような家庭で育ち、かつ競争に勝ち抜いた人間はさぞかし凄い人になるのだろう*1。そういう強者にはとても敵わない。


 ただ、競争があれば必ず敗者は出てくるわけで。また、勝者が突然敗者になる、なんてことも実にありふれた話。そして、そうした敗者でも人間らしく生きられるように支えるのが政治の仕事なのだろうが、果たして中国でそのような政治が行われるのだろうか。まあ、今の日本だって中国の心配を出来る状況でも無いのだけれど。

 

*1:もっとも、小学生が虚ろな顔で「僕はもう勉強に疲れました」と吐露していた様子等を見る限りでは、学校と家庭からの強烈な学歴プレッシャーはマイナスに働いているところも大きそうだ。勉強しろと叱咤され、自分なりに頑張っても「誰々に負けている」「ここをミスしている」と叱咤される、そんなストレスに耐え切れるわけがない。鞭には飴が、叱咤には激励が必要だろう。