雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

廃墟について

 アンコールワットを訪れたとき、そこが現在も生きている都市ではなく、遺跡であることに感動した経験があって、それ以来、漠然と「滅びた街」に憧れがあった。けれども、廃墟を取り上げた書籍や写真集を見てみると、どうも違う気がするのだ(個別の写真集名を出すことはしないが)。


 遺跡と廃墟で決定的に異なるのは、その場所がもつ歴史である。私が遺跡に感動するのは、昔の姿の美しさを想像するからであり、その建物のもつ重要性や思想や美学が、歴史の中で奪われざるをえなかった悲劇性にこそ、感動したのだ。それに比べると、廃墟写真集は単にそこが廃墟であり、ボロボロに朽ちている現状をのみ捉えている。滅び行く経過や、朽ちてしまった姿にこそ差はないが、過去に対する尊敬の視点が無いというべきか。


 「現在の視点でみると非常に古くなったもの」ばかりを見せる写真に、一体どのような価値があるのだろうか。まさか「やっぱり新しいピカピカの建物が良いよね」というメッセージを発したいわけでもあるまい。ひとつ気付いたのは、廃墟ばかりを掲載した写真をみていると、その被写体が「あるもの」と非常に似ていることだ。朽ちて、活気がなく、動かない、過去のもの。それはつまり、そう、死体である。