雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

清酒の定義


 酒税に関しては、歴史を抜きに考えると、今の制度は率直に言って全く論理的でも合目的的でも無い。だから、そもそも論には踏み込まない。とりあえず酒税は高すぎるとだけ言っておこう。そして以下では、日本酒についてちょっと書いてみるだけである。


 いわゆるワンカップやパック酒、それに居酒屋に行って「日本酒」とのみ表記されている場合、その酒は大抵「三増酒」なのだが、そのお酒が消えるかもしれない、ということ。簡単に言うと、米と麹で作った日本酒にアルコールと糖分と酸味料を入れて作っていたお酒なので、低コスト大量生産用の、ある意味優れた酒だったわけだ。これは別に日本酒に限った話ではなくて、例えばビールだってドイツ人からすると「混ぜ物をしている」と突っ込まれるかもしれないような「ビール」を普通に「ビール」と区分しているわけで。第三のビールなどは、もう意味が分からないレベルなのだ。


 そうした中で、清酒の分類が改正されるのは、「本物志向」の税制で業界を誘導して長期的に日本酒というブランド価値を高めるため、という考え方も可能だが、もしかしたら根本の理由は先に書いた「第三のビール」が引き起こしたのかもしれない。簡単に言うと、「ビール」を明確に定義づけるなら、「清酒」も明示しなきゃならないでしょう、というくらいの理由なのではないか。「日本酒」にアルコールと水あめと酸味料を混ぜて三倍にしたものは、それは果たして「日本酒」にふさわしいのか、と言われると、確かになんとなく違うような気はする。特に「夏子の酒」の読者なら、「当然だ。三倍とか二倍とか、そういう問題ではない。純米酒以外は日本酒として認めない!」という人も多いだろう*1。今回の法改正に伴い、清酒の価値が高まることは、長期的には日本酒業界にとってメリットのあることだと思う。


 ただ、なんとなく違和感は残る。だって、結局のところ消費者は三増酒を支持してきたんでしょ?それは何故なのか、というところが分からないのだ。飲み比べれば分かるのだが、例えば1800mlで2500〜3000円クラスの純米吟醸酒を飲んでから三増酒(パック酒とか)を飲めば、とても同じ「清酒」とは思えないはずだ。それでも、つい最近までは、供給される清酒のほとんどが三増酒だった*2。つまり、消費者にとって「日本酒」とは「三増酒」のことだったのだ。発泡酒ブームや第三のビール騒動のときも思ったのだが、消費者の主張は結局「酒なんて安く酔えればそれでいいんだよ」なのではないか。


 そして私はこういう考え方を支持しない。感覚的に言ってしまうと、アル中の考え方だな、と思う。アルコールは、所詮は生活に必要なものではない。贅沢品に量を求めるのはおかしいのではないか。アルコールは文化として考えていかないと、煙草を同じように「危険」「汚い」「臭い」「無駄」という扱いになるのではないか、という気がしている。飲酒運転への考え方がこの数年でここまでがらりと変わるわけだから、アルコールそのものへの見方もどうなるか分かったものではない。最強の「合法ドラッグ」であることは事実なのだから。「偉そうにいうな、酔わなきゃやってられないんだ」、という気持ちだって分かるけれど、じゃあ私が「ガンジャが無くてはやってられない」と言ってもそれを支持してくれる人がどれだけいるのか、というとやはり心許ないわけで。


 年を取ったからかもしれないが、「お酒は適量で楽しく」をモットーにしたい。最初に書いたように、酒税は高すぎるので下げてほしいし、普通の酒を美味しく飲みたいと思う。しかしそれは、高級酒のみ崇める「本物志向」でも無ければ、不味い雑酒を飲んで安く酔っ払いたいということでも無い。個人的には、税制で定義される前に、消費者が好みで三増酒を市場から追い出してほしかった。税制が消費に歪みをもたらしていることは理解できるが、嗜好品である酒を味覚で選べない消費者の下で酒文化など育つわけが無い。

*1:私も愛読者のひとりだが、実際にはそこまでの「本物志向」には賛成できない。本醸造だって美味しいお酒はあるし、ホップと麦芽以外の材料から作られた「ビール」にだって美味しいものはある。大事なのは、酒を「酔うための道具」としてみるか、「美味しい大人の飲み物」としてみるかの違いを理解することにある

*2:参考リンク本物志向は日本酒を救うかおよび辛口化か食生活の変化か