夕張市が財政再建団体となった*1。夕張市の言い分も聞いて判断してみると、
のあたりが原因のようだ。
大事なのは、これが夕張市独自の問題なのか、それとも程度の差はあれほとんどの地方都市がかかえる問題なのか、ということだ。上記3点から考えれば、残念ながら答えは後者なのだろう。きっと今後、自治体について従来思い込まれてきた様々な神話が砕けていく。公債はリスクの低い投資、最後は国が面倒を見てくれる、有力議員に頼めば金を引っ張ってきてくれる、行政はどこも横ならびでどの自治体でもサービスは一緒、自治体は倒産しない、公務員は首にならない・・・。
自治体の構造的な問題はいくつもあるんだろうけれど、ひとつだけ触れてみよう。
自社の収入と支出を決定するのは予算担当課であり、税関係の課は収入を考え、他の全ての課は支出のみを考える。ところが公共団体は収益を上げるために存在するわけではないので、基本的には稼ぐことよりも何に使うべきかということを第一に考えてしまうわけだ。従って、あとはどれだけ理屈を練って必要性をアピールして予算を確保するか、ということを考えて仕事を進めることになる。
そして、そういう風に積み上げられていった仕事は、大抵は「した方が良い」ことばかりなので、一度始めるとなかなかやめにくい。最初から「利益」を目指して始めた事業は、儲からないならすぐに止めることが出来るのだけれど、「必要」だからする事業を止めることは簡単では無いわけで。「全体の予算が限られていて、優先順位や費用対効果から考えるともうこの分野には支出できない」ということを説明する、という発想はまだまだ根付いていないし。どんな事業を止めても、これまでその事業の利益を享受してきた人にとってはやっぱり困るだろうし、だからマスコミは「サービスの切捨て」「行政の怠慢」と批判することになる。
民間企業も同じだろうけれど、再構築(というよりはダウンサイジング)は難しいもので、ある程度強権的にトップダウンで行う必要があるんだろうと思う。「必要な事業ですが、重要性は低いので止めます/困る人がいても支出は減らします」ってね。んで、自治体においてはそのようなことを提案できる立場の人が首長と議員の2種類いるんだけれど、どちらも選挙で選ばれる人なのだ。これは困った。選挙においては一票でも多くの票が欲しい。ダウンサイジングは論理的に考えると得票には結びつきにくい。さて、どうしたものか。・・・というわけで、自治体の予算は膨らみやすくしぼみにくい体質があると言えるのだ。
もちろん、ここで誰もが小泉総理の顔を浮かべるわけで。改革という言葉の持つ力はかくも素晴らしい。
まあ、GDPを向上させることによって相対的に公債費を減らす、という発想を持つ人もいるのだろうけれど、時代が悪かった。用地取得費と維持費がかかるという2点で「穴を掘って埋めることを繰り返す事業」よりも性質の悪いハコモノ行政(需要に乏しい道路とかもね)が叩かれまくったので、公共事業は悪と断定されてしまったし、一種のキャンペーン的に「国家破綻」「自治体破綻」が取り上げられていたので、まるで経済成長を唱えること自体が間違いであるかのように考えられる状況の中では、選択肢はダウンサイジングしか無かったのだろう。