今日出席した会議はなかなか酷いものだった。どこが酷いって、
- 責任の押し付け合い
- 瑣末な事項と極端な例示による揚げ足取り
- 仕事増への反対と現状維持の要望
の3点について3時間ほど後ろ向きにぐるぐると言い合っていたのだ。私は手伝いとして横で聞いていただけなのだが、よく担当者は堪えていたなあと感心するくらいに不愉快だった。
建設的な意見も未来への希望も仕事の持つ社会的意義も語らず、自己と組織を頑なに守ることが私の為すべき仕事なんだろうか。「こうした問題がある」の次は「こうしたら良いのでは」という意見が出ても不思議ではないと思うのだが、何故か出てくるのは「こうなったときに誰が責任を取るのか」「こうしたときにはどうすれば体面を保つことが出来るか」という意見ばかり。いや、組織としてはそうしたことも必要なのかもしれないけどさ。んー。
いま「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(Mヴェーバー)を読んでいる途中だからか、「天職」という言葉が常に頭にある。私はキリスト教徒ではないので来世への確信など求めないが、仕事をする限りは社会のため自分のために良い仕事をしたいと思う。この気持ちを実践するためにはどうしたら良いのだろう。個々人が「天職」として仕事をする限り、職業に貴賎は無い。当然、収入の多少は存在するけれど、それでも貴賎は無いのだと断言できる。問題はどの職に就くかではなく、誰と(顧客および同僚)仕事をするのか、ということにあるのだろうか。ああ最近は職場への愚痴ばかりだ。悩む。