雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

誰かのことを心配していたときに、結果的には心配していた事態は起きずにその人が無事であった場合、先ほどまでの心配していた気持ちがカッと怒りに変わってしまうことが良くある。この怒りは、その対象が自分の精神状況をかき乱すような事態を作ったことに対する抗議なのだろう。「貴方のせいで私は苦しんだ」という抗議だ。だがしかし、実際には「対象自身は私を苦しめていない」。対象は自身を心配してくれと私に頼んでおらず、私が勝手に想像を膨らまして自分自身でストレスを溜め込んだだけなのだ。といって対象がその真実を告げることはもちろん無いわけで、その心配の背景に感じられる好意に対して「心配かけて悪いね」と侘びて事態は収拾する。


だが、上記の流れは優先順位の逆転が起こっているように思う。「心配していた事態」というのは私が望んでいない事態であり、「結果的には無事であった」ことこそ私が望んでいた事態である。したがって私は喜ぶべきであり、対象を祝福して然るべきなのだ。にもかかわらず、怒りが先に来てしまう(それどころか怒りが祝福を消してしまうこともしばしばある)のは何故だろうか。感情にもそれぞれの種類で強弱がある、というだけの話だろうか。コミュニケーションは有限であり、伝えるべき事項も優先順位を間違うとかき消されてしまう。それは避けるべき事態のはずなのだが。