きんたま空間において、あるひとつの歴史が完結(?)した。
最後ということで、愛と憎しみとネタと不味さ満載の内容となっている。
ほんと面白いなあ、きんたまさん。
実は私にも「とっておきの不味い店」があって、ちなみにそこは中華料理屋であ
る。もう見た目から不味さオーラが染み出ていて、初めて店に入るまでが長かっ
たものだ。行きたくて、行けなくて、夢まで見たりしてうなされて。その夢の中では
店が主人の家と見事に一体化していて、居間が客席を兼ねていたのだ。私は店
に入るなり居間のコタツに入らされ、店の子どもと一緒にテレビを見ながらチャ
ーハンを食べることに。寝たきりのおばあさんが隣にいて、もごもごと何か言って
いた。私がまだ食べているというのにこのガキはもう寝ると言ってテレビを消し、
部屋の電気まで消して布団に入って寝てしまう。豆電の灯りの下でチャーハンを
食べる涙目の客を放っておくとは何という店だ、と腹を立てていると女将さんが
「すいませんねえ、こんな店で」といって申し訳無さそうに一品おまけのサービス。
店内が薄暗いものだからよく目を凝らしてその料理を見たら、おそらく一家で食
べたのであろうその日の夕飯の残り物だった。ごはんをわかめとじゃがいもの
みそ汁に入れてよく煮込んだおじや、ってこれねこまんまじゃねーかふざけんな
と思いつつも何も言えずもそもそと食べる私、という夢であった。
夢のこともあってなかなかその店に入る勇気は出なかったものの、「いつか俺
はこの店で食べなければならないのだ」という不思議な義務感に基づいた決意を
持っていた。宿命というやつか。月日が経って、私も覚悟を決める時が来た。店
の扉を力強く開け、大きな声で「ねこまんま下さい!」とは言わなかった(店に客が
4人もいて驚いてしまったのだ)けれど、あの夢にまで見たチャーハンを頼んだ。
相当な時間が経って出てきたチャーハンは油で茹でたようなギトギト感で、私は
うっすらと感動さえしたものだ。案の定結構な御不味さで、というか油脂を口に入
れるようなものが旨いわけも無く、さらにセットのスープが悪い意味で刺激的な
味で舌がひりつく。やはり私の嗅覚に間違いは無かったことを内心誇りに思い、
そしてお金を嫌々払う。客席と居間が別れていたことが唯一心残りであったが。
でそれ以来、もちろん私はその店に行ってないのだが(まだ存続しているのか
非常に不安)、きんたまさんの偉いところはその宿命を引き受けて伝説を作った
ところだと思う。ってなわけでお疲れ様でした。