雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

私へ、そして全ての苦しむ人へ

今、もしもあなたが苦しんでいるのなら、
いずれあなたは何かを手に入れるはず。
人は苦しむ以上、何かを生み出さざるを得ない。
逆に言えば、何も手に入れずには、その苦しみは終わらないだろう。



産みの苦しみ、というやつだ。
そう、世界は変わろうとしている。
ただし、得られるものが素晴らしいかどうかは保障しない。
それでも、何かを手に入れない限りは、あなたの苦しみは続くのだ。



あなたには、その苦しみの原因は分かっているはず。
だから、それについては、何も言わない。
今は、何を求めて苦しんでいるのか考えてみてほしい。
あなたの苦しみに意味を与えてみよう。
苦しみが過ぎたとき、あなたは何を手に入れるのだろうか。




ここで、反省と後悔について考えてみたい。
私は以前、後悔を嫌い、反省を重視してきた。
後悔には未来が無く、次につなげようとする反省にこそ意味がある、と。
しかし、それは若さ故の恥ずかしい誤りだった。
人が生きることの哀しみを理解していなかったのだろう。



人の一生には、「次」が無い事態だって、たくさんある。
そんなときに、「次につながる反省」など出来ようはずも無い。
だとしたら、悔いることしか出来ないではないか。
「次」なんて無い。反省による成長なんて役に立たない場合もあろう。
・・・私も年を取った、ということか。



反省も後悔も人生の一部だ。
幾度も後悔すればいい。
「風の中 おのれを責めつつ歩く」(種田山頭火)、だ。
人間だから、間違いは避けられない。
それに怯えながら生きていこう。
間違いを恐れるな、なんて言えるのも、人生を知らぬからだろう。
間違いは、恐ろしい。それを悔やむしか出来ないことだってあるのだから。
誰だって間違いたい訳じゃない。それでも間違いは必ず起こる。
開き直らず、慎重に、謙虚に生きるしかないではないか。


そして、それでも後悔する。
なぜなら、間違いは避けられないから。
そんなときは、立ち止まって、悩んでみるのもいいじゃないか。
何も先へ進むだけが人生じゃない。
動かずに、来た道を振り返り、悔いる時間は決して無駄じゃない。





次になんてつなげなくてもいい。
無理に成長しようとしなくてもいい。
ただ悔やんで苦しむときも、また人生だ。
そして気付いたときには、必ず何かが生まれているはず。
時間が流れるということは、何かが動いている、ということだから。



結局、反省も後悔も大した違いは無いのだろう。
過去に対して全くの無力であるという事実は、全ての人に平等だから。
そして現在苦しむ人の前には、必ず「何か」があるのだから。




私へ、そして全ての苦しむ人へ。