雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

 一度発言したことを消すことは、残念ながら出来ないみたい。それがいくら恥ず
かしくても引き受けていくしかないのだろう。でも、反省して、考え方が変わること
もある。恥をしのんで、もういちど書いてみようと思う。過去を消すためではなく、
少しでも前に進むために書いてみよう。



 どうやら、私には引きこもりの性質が強い。自分独りの世界に篭って、他者との
関係を避けようとする。何もかもから逃げ出して、社会から孤立する。
 ・・・結局、自分が傷つくのが怖かったのかな。誰も俺のことなんて傷つけようと
していなかったのに。自分を守ることばかり考え、そして他の人を傷つけていた。


 でも、それでは、人生が一歩も進まない。傷つくことを恐れて、より悪い結果を
招くだけだ。自分を守っているばかりじゃ強くなれない。何も変わらない。そりゃあ
生きていれば、傷つく事だってあるだろう。嫌だけど、でもそれは仕方ないじゃな
いか。それよりも、自分を開くことで何が得られるのか、の方が大事なはず。



 他者との関わりでもそうだ。自分をいつも大切にし過ぎるから、周囲に対して配
慮が出来ない。自分を中心に考えるから、人の意見を聞き入れない。世界を広
げて、他者を迎え入れないと、何も変わらない。


 他者は、確かに自分とは違う人だ。当たり前。では、そんな他者と関わるとは
どういうことなんだろう。ひとつは、お互いに何か新しいものを作り出す、という
こと。もうひとつは、互いに自分を変えていく、ということ、じゃないかな、と今は
思う。他者のおかげで、きっと世界は魅力的になる。そう、何も恐れる事なんて
なかったんだ。もっと肩の力を抜いて自然に向き合えばよかったんだ。なのに、
自分を変えずに相手を飲み込もうとするから失敗するんだ。何故自分と相手との
「違い」を楽しめなかったのだろう。


 他者と関わることは、決してひとつになることなんかじゃなかった。新しい何かを
共有する事だったんだ。私とあなたは違う人、そう、だからこそ興味を持つんだ。
誤って自己と他者を同一視してしまうから、全てがおかしくなってしまうんだ。
ひとつになれないことが悲しいんじゃない。ひとつになろうとして独りで勝手に
挫折して、他者との関係なんて無理だと自分の世界に篭ってしまうことが悲しい
ことだったんだ。




 こんなこと、普通の人なら高校生くらいで考えることだよね。
 どこでこんな迷路にはまり込んでしまったのか。





また西原理恵子の本を買った。
毎日かあさん(カニ母編)』
鴨ちゃんとのくだりで号泣してしまった。