雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

壁が高くて息が苦しい

 先日、彼女に「心の距離が出来そうで不安」というメールをもらった。鈍い
私にはあまりピンと来なかったのだが、ひとりで考えていくうちに色々気付く
ところがあった。



 距離は、確かにある。そして、それは近頃開きつつあるように思える。



 異なる二人の人間が付き合っていく以上、ずれや差異や衝突があるのは避け
られないことだ。ふたりの人生は、当然異なる。その主体も、行先も、行き方も、
違う。共有できるのはほんのわずかな部分だけなのだろう。


 これまでは、縁あっていろんな出来事を共有してきた。生活が密着していたし、
互いの社会で重なる部分が大きかったから、差異が目立たなかったのかもしれ
ない。溶け合うような二人の関係は、とても幸せなものだったのだろう。


 しかし今、彼女は新しい自分の道を進みだした。だから、私の道とはどうしても
離れた方に行ってしまう。そのとき、お互いに溝が出来ることは仕方が無いこと
だ。そして、これこそが新たな関係の始まりなのだろう。これまでは溶け合うよう
な生き方が出来た。でも、もう違う。二人にはそれぞれの人生があるのだ。もしか
したら、今後この溝は深まっていくのかもしれない。



 彼女が「心の距離」に気付いたのは、きっと、二人の世界が分かれ始めたこと
を自覚しているからだろう。私の知る彼女像は、実際の彼女の中ではごく一部に
過ぎない。そして今後、その一部はより小さな割合のものとなっていくのだろう、
お互いにね。共有する部分がどんどん小さくなっていくのであれば、理解し合う
ことも難しくなっていく。



 正直なところ、他人の出来事や周囲の人々に対して、本人が感じている以上
に私が興味を持つことはまず無いと思う。本人にとって、それがいかに重大な
意味を持とうとも、私にとってはそれがほとんどどうでもいい類のことである可
能性は、常に高い。逆もまた然り。私はわたし。貴方はあなた。だから、両者
の距離は決して無くならない。だとすれば、人と人が長年付き合っていくことは
なんて困難なことなんだろう。そんな当たり前の現実に、二人はようやく向き
あうことになったんだ。




 私とあなたの人生は、どうやってもひとつにならない。それは悲しいことだ。
ひとつにしたいのかと考えると、それはそれで息苦しい気がするのだけれども。




ひとりは、気楽で、寂しい。
二人は、どこか窮屈で、幸せだ。


ひとりでは、きっと体験できなかった幸せもあった。
そんな幸せなんて、幻想に過ぎないのかもしれないけれども、
ひとりではそんな幻想をつかむことすら出来なかっただろう。



(追記)
 もっとも、最初のメールでいう「心の距離」は、私に愛想が尽きたことや、
興味が薄れてきたことを遠まわしに言っているのであり、これは別れの始まり
ということなのかもしれない、とも考えられた。でも、それなら話は簡単だ。
二人が付き合っていくことに比べたら、別れるなんてどれだけ易しいことか。