雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

景観その2

巴里の街並みに関して、具体的な話も少しだけ。



■新凱旋門(Grand Arch)
 パリの街並み、といえば「古くて大きな建物群に囲まれた、細い通りにひしめく
喫茶店・・・」という印象しか抱いていなかったのだが、現地について疑問に思った
のが、新しい現代的建築物が少なすぎやしないか、ということ。先進国の首都な
のだから、近年建てられたばかりのガラス張りの高層ビル群が無いはずがない
ではないか、と。しかし、市の中心部は例の立派な文化財ばかりだし、周辺部・
郊外にもいわゆるビジネス街は無さそうだ。パリの土建屋は何してるんだ、などと
どうでもいいことを考えていた。
 その疑問に答えてくれたのが、La Defense 。おお、やはりあった。ピカピカした
無機質な巨大建造物。ここでなら、言えるぜ。「なんだ、結局、先進国の街並みな
んてどこも似たり寄ったりで(以下略)w


 正直、ここは別に面白い地区ではなかったのだけれども、こういうところがパリ
にもあったことに安心(?)したし、一方でこの様に経済的必要性と街文化の保持
との両立を図るべく計画を立案した知恵に敬服した。ここを教えてくれた彼女に
は感謝。



■広告

 街には看板が非常に少なかった。あるとしても、画面が時間単位で切り替わる
方式なので、やはり看板の数自体は非常に少ない。パリでは(フランス全体かど
うかは知らない)現状でも相当厳しく規制されているようだが、さらに広告看板そ
のものの全面撤廃を求める団体まであるようだ(ちょうど滞在時、現地のニュー
スになっていた)。
 日本で市バスが広告ラッピングカーとして走っているのを見て「おお、賢いなあ」
と感じる筆者(テレビを見るときもCMの方を好む)にとってはカルチャーショック
であったが、まあ、確かに巴里方式の方が景観は良くなるだろうのだろうな。


 以下、話題逸れまくり。「広告自体が悪いのではなく、景観にそぐわない内容の
広告が悪いのだ」といった一見正論らしき意見を持ち出して、景観に害となる広
告/看板だけを禁止するのだ、などと言ったところで無駄だろう。なぜなら、害か
どうかの審議基準を明確に出来ないのであれば、結局のところ、広告/看板に
美しさなど求め得ないからだ(判断基準設定が困難だし、審査担当を誰が行うか
も難しい問題)。そもそも、前提として広告は企業の利潤追求の手段であり、美し
いかどうか/快か不快かなんてことは付随的な事項だろう。広告収入が無けれ
ば成り立たない人/法人もいる。一住民としては、これらのものは景観を汚すも
のであることを前提として、あとはその経済的利点を考慮してどこまで許可してい
くのか、といった視点で考えるべきなのだろうか。




 帰国して、関西空港から電車に乗って帰るとき、ごてごてした看板、計画性も統
一性も無い街並みを眺めてげんなりしてしまう。日本には日本の美しい景色があ
るはずなのに。何故だ。嗚呼。