雑記帳

関西在住の中年男性による日々の雑記です。

景観

 今回の旅の最大の目的は、パリの街を歩くことだった。名所や名物を見るので
はなく、ただうろうろと街中を散歩したかったのだ。結果から言うと、素晴らしい街
並みを体感出来たので、行った価値は十分にあったと感じている(寒さの為に目
的の達成度は80パーセントという感じではあるが)。


 実は、今回の旅のきっかけとなったのはパリマラソンの中継であった。選手の
背景画面にばかり注目してしまい、3時間におよぶ巴里観光案内番組を見終わ
る頃には現地に行きたくなってしまったのだ。テレビの中に入ってみたい、という
感覚は十数年ぶりだったな。


 現地に行き、街全体が発する歴史感、調和性、あるひとつの美のかたちを感
じられた気がする。ただそこにいるだけで満足できる街というのは面白いなあ。
何の建物が格別に美しかった、とか、どこの景色が印象に残っていて、という思
い出は特に無く、ただただ居るだけでひたすらにドキドキしてしまったのだ(滞在
中ずっと)。顰蹙を買うかもしれないが、生まれて初めて新宿歌舞伎町に足を踏
み入れた時によく似ていたと思う。


 どうしても母国日本と比べてしまうのは仕方が無いか。私は、日本の都市の中
では京都が最も好きなのだが、よく比較されるこの二都市、全然違うやん。計画
性もなく、醜い建物が次々に現れる京都とは違うよ。よく巴里の都市の保全性に
ついて語られるとき、日本と異なり戦争の爆撃が避けられたことが挙げられる
が、それだけではとても理解できない壁があると思う。それは、街に対する意識。
美しい街に住みたい/街を造りたい、という意識なんだと思う。
 


 パリの風景はきっと、100年前からあまり変わっていない。それはおそらく、伝統
を守ろうとする意識が強いから、と一般的には説明されているだろう。しかし私は
こう感じた。伝統を守り慈しもうとしているのではなく、壊して新しいものを作るの
が面倒なだけなのではないだろうか。歴史あるものを壊すとき、新たに作られる
物は更なる質の向上を強いられるべきであるのだけれども、実際には進化なん
てそんな簡単なものではなくて、古いものに打ち勝つことは難しいのだ。例え技術
面で進歩があったとしても、古いものには歴史/思い出という利子がついてしま
っているので甲乙はつけ難い。となればわざわざ新しいものを作る必要性が薄れ
てしまうではないか。パリの中心街を平地にして一から作り直したとき、現在より
も「優れた」街を生み出すことは不可能に近い。


 伝統なんて、守るものでもなければ戻るものでもなくて、ただ、そこにあり続ける
ものでしかない。伝統自体に価値があるのではなく、それを超えるものを作り出
すことが極めて困難なだけだ。本来、伝統なんて語ること自体がタブーだと思う
が、ここではこれ以上踏み込まないことにする。



 どんな風に街を見たか、感じたかを記しておこう。



 どこを見ても「絵になる」、不快感の少ない街並み。
 古くて巨大な建物群は統一感があり、それでいてどこも個性的に感じた。
 広くて開放的な公園が結構たくさんあるものだなあ。
 凱旋門から放射状に伸びる道を見て溜息。
 夜の街は暖かなオレンジ色に包まれて。
 蛍光灯では出せない艶っぽさ。
 嗚呼、素敵だよ、巴里。